【SS】にこ「永遠の17歳で」

にこ (2) SS


1: 2015/10/20(火) 21:43:43.80 ID:oi3ykLno0.net
女子校には、女子校特有の恋愛っていうものがある。
それはこの音ノ木坂学院も例外じゃなくて。

「せ、先輩っ……きょ、今日は一緒に……かっ帰れますか…?」

「うん、今日はテニス部も休みだから」

「や、やった!!」

ほら、今もまた。

所謂レズってやつ。
異常性癖のひとつの筈なんだけど、思いの外珍しいものでもないみたい。
10人に1人の割合だかなんだか、中学のなにかの授業で聞いた気もするけど、それよりは多い印象。
二人で歩いているペアの5組に1組はそういう関係になってる。

意外と傍目からわかるもんよ。空気が違うから。

2: 2015/10/20(火) 21:45:29.62 ID:oi3ykLno0.net
でも、まやかしもいいところ。
その恋心は多分、彼女達が恋に恋する年頃だから、とある情動のはけ口に丁度いい相手が居ないから、適当なお人形を見つけてるってだけでしょ。自分を偽ってるだけなんでしょ。

女子校特有って言ったのはそういうこと。
殆どが、偽物か、勘違い。

一体何組のカップルが本当に愛し合っていると言えるのかしら。

くだらない。

本当にくだらない。



そう思ってた。

あの娘が現れるまでは。

3: 2015/10/20(火) 21:47:12.97 ID:oi3ykLno0.net
その赤毛に惹かれてしまった。
その冷たい眼差しに吸い込まれてしまった。

最初は普通の友達だった。
大好きって感情はそう遅くない内にやってきたけど、それはまだ単純で綺麗なもので。

彼女は頭がいいからか、私の言いたいことも良く察してくれたし、あまり頭の良くない私が考えない分は彼女が思慮を巡らせてくれて。

……まあ、とにかく、一緒に居て居心地が良かったの。
こういう感覚はいくらゴチャゴチャ説明したって、当人達にしかわからないわよ。

だから私はことある毎に彼女にひっついて、彼女もまたよく私を頼ってくれて、ふわふわと楽しい日々が続いてた。

でも、その内"大好き"は。

4: 2015/10/20(火) 21:49:59.11 ID:oi3ykLno0.net
いつからだろう。瞳に姿が映る度に身体が強張るようになったのは。
いつからだろう。声を聞くだけで撫でられたみたいに力が抜けるようになったのは。

昨日はただの動作のひとつだった"手を繋ぐ"ことが、今日は"体温を分け合う行為"になってた。
その境となった日は、いつだっただろう。

そんなの、忘れてしまったけど。

でも、この胸の高鳴りが嘘じゃないなら、締め付けられるような感覚が本当なら。

これはもうどうしたって――恋じゃないの。

5: 2015/10/20(火) 21:52:15.36 ID:oi3ykLno0.net
「にこちゃん、なんだか楽しそうね」

「ん、真姫の弾くピアノ、綺麗だから」

「そっ、そう……あ、ありがと……」

「ふふっ」

ガキ臭い、なんて馬鹿にしておきながら、いざ自分がこの不明瞭な桃色に呑まれてみると、なるほど随分心地良くて。

それは私のそれが音ノ木坂に溢れてる多くのものと違って本物だからだ。 
なんて少女的な夢想をしながら、今日もまた彼女の可愛いところを数えては、口元を弛めていた。

6: 2015/10/20(火) 21:54:19.83 ID:oi3ykLno0.net
*

日曜日。朝から続いていたμ'sの練習は夕方前には切り上げられた。
私は真姫から寄り道に誘われて、二人で街をなんとなしに歩いていた。

私は特に目的があった訳じゃなかったけど、昨日テレビに出てたアイドルの話とか、最近コアな人気を集めてる岩手のスクールアイドルの話とか、あとは時折真姫のことをからかって、いつもの口喧嘩をしたりとかして、それなりに楽しんでた。

あんまり熱弁が過ぎると、真姫はあからさまに退屈そうな、半ば呆れたような表情を見せたけど、それも私にとっては口元の弛む要素になって。

やけに行き交う人の笑顔が目についたり、夜じゃないのにビルが光って見えたり、落ち葉の転がる音すら楽しいものに聞こえたりと、なんだか都合の良い景色ばかり見えてた気がするけど。
でも、きっと恋ってこういうものなんだって、大して構わないで、というよりもむしろ心を浮かせて、言の葉を風に乗せつつ、靴底を軽快に鳴らし続けていた。

11: 2015/10/20(火) 21:56:23.88 ID:oi3ykLno0.net
真姫が寄りたいと言って入った楽器屋さんから出ると、あるお店が目についた。

「あっ、ほら見て真姫!あそこのカフェ、新作ケーキだって!」

道の向こう側にある、苺とキャラメルのソースがかかった艷やかなケーキのポスターを指差して、真姫に見直る。

「ふふ、そうね」

彼女はさっき買ったばかりの楽譜を抱えて、その嬉しそうな笑顔を消さないまま言った。

トクンと、今日何度目かわからないときめきを感じながら、私はニッと歯をみせて笑い返した。

本当は、新作ケーキよりも、その隣にあった「カップル割引デー」の張り紙に惹かれただけなんだけど。私たちはまだそんな関係ではないんだけど。

――――ほら、行くわよ!

そう、さり気なく手を取って。

私たちは今まで歩いていた道を離れて、お店に向かっていった。

13: 2015/10/20(火) 21:59:46.54 ID:oi3ykLno0.net
お店の中では珈琲の香りが私たちを出迎えて、く、とお腹が何かに期待して小さく鳴く。
おやつ時だからか、新作ケーキが好評だからか、それとも割引の効果か、店内はそこそこ賑わっていて(しかも殆どが男女のペアで)、スピーカーから流れる渋いジャズよりも会話の声のほうが大きく感じられた。

私たちは店員のお兄さんに案内されて、窓際のちっちゃなまあるいテーブルの席に座る。

「にこちゃん何飲む?」

「あー、普通にコーヒーでいいわ」

「それじゃあ、ブレンドコーヒーを二つ。ホットで」

かしこまりました。そう言って去っていくお兄さんを尻目に、内緒話をするように掌を口の横に添え、ほんの少し身体をテーブルに乗り出して、ちょいちょいと真姫に手招きをする。

真姫は眉を上げて返事をすると、すっとこちらへ顔を寄せた。

15: 2015/10/20(火) 22:01:38.72 ID:oi3ykLno0.net
「ね、店員さん、ちょっとかっこよかったわね」

私の声に、真姫が期待して損したとでも言うように鼻で小さくため息をついて、

「べつに、どうでもいいわよ。そんなこと」

心底興味なさそうに、毛先を弄び始めた。

「ふーん、そう」

どうでもいい……か。

「そんなことよりも、ケーキ、選びなさいよ。どうせまた時間かかるんだし」

真姫はそう言ってメニューを差し出す。私はそれを両手を突き出して拒む。

17: 2015/10/20(火) 22:03:40.87 ID:oi3ykLno0.net
「駄目よ。今日はあのケーキを食べにきたんだから。メニューなんか見たら悩んじゃうじゃない」

「……頼む直前になって『やっぱり待って』とか言わないでよ」

「……そ、それが乙女心ってやつにこよ♡」

「意味わかんない」

「真姫ちゃんに乙女心は理解できないにこ」

「私も女なんだけど」

「ふふ、いいの!」

「意味わかんない」

"どうでもいい"
そうは言いつつ少しは気になるようで、真姫は珈琲を運んできたお兄さんの顔をチラと確認して。
だけどそれは本当に一瞥しただけで、すぐに興味のなさそうにしてカップへ視線を移していた。

18: 2015/10/20(火) 22:05:42.50 ID:oi3ykLno0.net
たったそれだけのことで私はすっかり舞い上がってしまって。
その行動と、彼女と私が同じであるということとが繋がる訳ではないのに。そうだとしても私と結ばれる保障なんてどこにもないのに。
期待せずにはいられない自分がいた。

――ホントにどうでもいいんだ。

思わず彼女の真似をして、黒いままのコーヒーを啜ってみた。

「……ぁぁ」

やっぱり無理。
備え付けの砂糖とミルクをせっせとカップに混ぜ入れる。
すると、クスクス――なんて笑い声が聞こえて。

「何よ、馬鹿にしてるの?」

「くすっ。違うわよ、かわいいなって思っただけ」

ドキリ。一際大きく心臓が弾けた。

19: 2015/10/20(火) 22:08:01.99 ID:oi3ykLno0.net
「なっ、何よ……それ……」

今、かわいいって言った。私のこと、かわいいって言った。

頭の中でさっきの声と表情とが勝手に何度も思い返されて、その度に心臓が脈を打つ。
それはもう胸が痛くなるくらいで、私は今生理現象で生きてるのか、トキメキで生きているのか、わからないくらいだった。

それなのに、こんなにも人の心を乱しているのに、真姫はなんともないような顔で珈琲を嘗めていて。

顔、赤くなってないかな。心臓の音、バレてないかな。
私はとにかく感情の置き場に困って、頬まで伸びた髪をくるくるといじっていた。

20: 2015/10/20(火) 22:09:56.48 ID:oi3ykLno0.net
少ししてケーキがやってくると私はすぐさまフォークを手にとって、頭の中の興味を無理矢理真姫からケーキへと移すように一口食べた。
初めはいまいち味がわからなかったけど、二口三口と食べていく内に、さっきとは別種類の幸福が心を満たしていく。

「はぁ~、おいし~♡」

「悩まなくて良かったわね」

「そうねぇ~!」

真姫は小さく笑うと、自分が頼んだショートケーキを一口、口に運んだ。

真姫はものを食べる姿も人一倍かわいい。私はカップを両手で持って、その様をじっと見つめる。

口から引き抜かれたフォークには、彼女の唇から逃れたクリームが薄く延びていて。

私はすっかり甘くなった珈琲を――ゴクリ。音を立てて飲み込んだ。
そしてカップをカタンと置いて、でも、と口を開く。

21: 2015/10/20(火) 22:12:04.41 ID:oi3ykLno0.net
「……もしかしたら、他のケーキのほうが美味しかったかも知れないわ。例えば……それ、とか」

机の端に手をおいて、あ、と開けた口を真姫に近づける。
すると真姫は呆れたように失笑して、微かに頬を赤く染めながらケーキを乗せたフォークを私に差し出した。

ぱくりと、しっかり、逃さないように咥えて、抜かれるフォークを見送る。

「どう?」

やっぱり味なんて全然わからなかったけど、クリームとスポンジのふわとした食感、それととある何かは口の中で生きていて、確かに、おいしいと思えた。

「"それ"のほうがおいしいかも」

軽く唇を舐めてから答えて。

――――私も、随分いやらしくなったものね。

そう、心の中でひとりごちた。

22: 2015/10/20(火) 22:14:11.00 ID:oi3ykLno0.net
食べさせ合いなんて普通にやっていたことなのに、当たり前だったことが当たり前じゃなくなっていく。
それは今回に限ったことじゃなくて、手を繋ぐことにしても、横に並んで歩くことにしても、平然とできなくなってる自分がいて。
そうやって自分を変えていってしまうこの感情が――――

「はい、今度は真姫ね」

「わっ、私はいいわよ」

「いいからほら、あーん」

「……あ、あーん」

「どお?」

「……おいひい」

――――ほんの少しだけ、こわいなと思った。

23: 2015/10/20(火) 22:17:18.13 ID:oi3ykLno0.net
「え~!いいだろ姉ちゃん。二割引だぜ二割引!」

「でも、恥ずかしいじゃん……」

ふと、聞こえてきたのは後ろの席の会話。
聞き耳をたててみると、どうやら二人は姉弟みたいで、今だけ恋人の振りをして割引してもらおうと弟が提案してるらしかった。

「ね、真姫」

ぴんと思いついた私はすぐに真姫に向き直って、ちょっと高めのトーンで話しかける。
真姫は丁度ケーキを口に入れたところで、むぐむぐと動く口を左手で隠しながら、なに?と応えた。

「私たち、今だけカップルってことにしてみない?」

聞くなり真姫はむぐっと咳き込んで、珈琲をぐっと飲む。
慌てる姿もやっぱりかわいかった。

25: 2015/10/20(火) 22:19:42.92 ID:oi3ykLno0.net
「けほっ……い、いきなりおかしなこと言わないでよ。なんでまた……」

「あのねぇ♡今日はここ、カップル割引デーらしいのぉ。それでにこぉ、今月ちょぉっとお財布が寂しいから、真姫ちゃんが協力してくれるととぉっても嬉しいなぁって♡」

我ながら良く口がまわるなと思う。
あんたが好きだからよ。本当は今日だけなんて言わずに、ずっと恋人でいて欲しい。
そうやって正直に言えれば良いのに、私は変なところで臆病だ。

「ああ、そうなの。割引なんて気にしたことないから、気が付かなかったわ」

「なに、自慢?」

「違うわよ! …まあ、にこちゃんがどうしてもって言うなら、べつにいいけど」

真姫は窓の外を眺めて、髪を指で回しながら言った。

26: 2015/10/20(火) 22:21:44.59 ID:oi3ykLno0.net
本当!?――と、私の振動が喉から漏れ出る前に、真姫が「でも」と遮って、

「女の子同士なんて……おかしいわよ……」

毛先をいじりながら、伏し目がちに呟いた。

「…………」

言葉通り受け取るなら、それは明らかに"私"への拒絶で。

でも、そうじゃないっていうことは私にはわかったから。

「私はそんなことないと思うわよ」

だから、顔を上げさせようとした。ううん、こっちを向いてほしかった。

「おかしくなんてない。おかしいなんて言う奴は、にこがぶっ飛ばしてやるわよ」

その目は、私に何かを期待しているようで。

「あ、あのねにこちゃん……聞いて欲しいことがあるの……」

真姫は頬を真っ赤に染めて、そう言った。

27: 2015/10/20(火) 22:23:47.41 ID:oi3ykLno0.net
***


家に帰ると、こころたちの相手もそこそこに私の足は自分の部屋へと向かっていた。

パタンと扉が閉まる。すると世界には橙に染まるこの空間しかないようにも感じて。
肩の力を抜いてカバンを落とすと、そのままベッドに倒れ込んだ。

布団は埃を吹き飛ばすように空気を撒き散らすけど、私のぐしゃぐしゃな心は吹き飛ばしてくれない。

枕に顔を埋めたまま、しばらく呆ける。

……ああ、ご飯、用意して、あげないとな。
でも、今日は、ママも、お休み、だし。

とりあえず、このまま――――。

28: 2015/10/20(火) 22:26:39.25 ID:oi3ykLno0.net
『やっぱり私、おかしいの』

あまりにも現実味のない言葉だった。

『だって』

自分もそうだから、きっと相手もそうだろう。
そういう幼い思い込みと。

私の恋は必ず叶う。
そういう根拠のない自信と。

『私、凛と花陽のこと』

彼女はその全ての幻想を私に抱かせて、そしてその全てを。

『――――好きになっちゃったの』

壊していった。

29: 2015/10/20(火) 22:36:19.27 ID:oi3ykLno0.net
私は自分の全てが崩れていく様を、平然と眺めていて。
恥ずかしそうに話す彼女のことを、この期に及んでまだ「かわいいな」とすら思っていて。

要するに、半分うわの空になっていた。

とりあえず真姫が言うには、ただでさえ同性を好きになって、しかも凛と花陽の二人ともなんて、自分がおかしいんじゃないかって、どうしたらいいのかわからないって、そういうことだった。

自慢じゃないけど、ここしばらくはずぅっと真姫のことを見てたから、最近何かに悩んでるっていうことには気づいてたし、今日だってその相談のために寄り道に誘ったっていうのもわかってた。

30: 2015/10/20(火) 22:38:42.22 ID:oi3ykLno0.net
相談相手に選んでくれたから、勝手に私が真姫の一番なんだって期待して、イケメンに興味がないとか私と恋人の振りをしてくれることとか、今にしてみればそんなでもないようなことにも、飛び上がりそうになるくらい喜んじゃって。

ねえ、真姫。

『にこちゃん、いいの? 相談に乗ってもらったんだし、べつに恋人の振りくらいなら……』

『うん、いいの。えへっ、なんか急に、恥ずかしいなって思ってきちゃって』

あんたはどうして、平気でいられるの。

31: 2015/10/20(火) 22:39:52.12 ID:oi3ykLno0.net
***



「ん……んぅ……」

暗い。

ここが自分の部屋だと気づいたのは、身を包む制服の感触に気づいてからだった。

「あのまま、寝ちゃったんだ……」

ゆっくりと立ち上がって電気のスイッチを入れる。
ジンと目が痛んで、私の世界は光を灯す。

右の肩が痛い。変な体制で寝ちゃってたのかな。明日の練習に支障がなければいいけど。

明日……ね。

「……シャワー浴びよ」

32: 2015/10/20(火) 22:41:58.74 ID:oi3ykLno0.net
音を立てないように扉を開ける。もうママもこころたちもすっかり寝静まってるようで、廊下まで真っ暗だった。

脱衣所も暗くしんと冷えて、制服を脱ぐと、鏡は子どもみたいに起伏の少ない私を映した。

「ほんっと、こどもみたい……」

今の私、一体どんな表情をしてるんだろう。
なんでか顔を見る気にはなれなくて、私はそそくさと浴室に入っていった。

風呂ふたを開けると、浴槽の中はとっくに水になっていた。触れた指先がきゅんと縮こまるように冷える。
今日は確か、ここあが当番だったかしら。

33: 2015/10/20(火) 22:44:01.08 ID:oi3ykLno0.net
お姉ちゃん!アイドルはお肌を大切にしないといけないんでしょ?だから私が綺麗にしたお風呂でお肌ツヤツヤにしてね!

最近お手伝いを覚えたことが嬉しいのか、ここあはお風呂の掃除をする度に同じことを言う。
今日だって、私が日課の半身浴をするのを今か今かと待ってたはずで。

ここあはいつも、身体をぽかぽかさせてお風呂から上がった私に駆け寄って、気持ちよかった?って期待に瞳を震わせて聞くの。

それで、
ここあがよーく綺麗にしてくれたから、とっても気持ちよかったわよ。
私がそう答えて頭をくしゃくしゃに撫でてやると、くすぐったそうに笑うのよ。

「……無駄に、しちゃった」

シャワーの蛇口を捻って、じんと熱くなった目頭を冷やす。

少しして水が温かくなってくると、私は髪を洗い始めた。

35: 2015/10/20(火) 22:46:07.97 ID:oi3ykLno0.net
「はぁ……」

身体は綺麗になった。身体は。

降り注ぐシャワーに頭を打たせる。
バチバチと頭にぶつかっては髪を滴り落ちていくお湯をただ眺めながら、

「真姫……」

彼女の名を呟く。
胸の痛みは、苦しくも心地良かったあの感覚ではなくなって、ただ刺すような辛いだけの、嫌なものになってしまっていた。

どうして私じゃないの。私の何がいけないの。

お湯は絶え間なく排水口へと流れてゆく。

36: 2015/10/20(火) 22:48:13.87 ID:oi3ykLno0.net
「真姫っ……」

返事なんかなくて。
だけど頭の中では、「なに?」って、色んな顔の真姫がそこに居て。
微笑んで。不機嫌に。呆れ顔で。狼狽えて。照れくさそうに。優しい目で。
どの真姫も魅力に溢れて、どの真姫も私のものにしたいと願った真姫だった。



長い髪が一本、流れ落ちていった。



「そっか」

ようやく、実感が沸いた。
どうやら私は失恋をしたらしい。

37: 2015/10/20(火) 22:50:44.29 ID:oi3ykLno0.net
――――どうして?

こんなに想ってるのに。こんなに大好きなのに。

おかしいわよ。だって、私の恋は絶対に実るはずで、きっと二人は幸せになるはずで。

なんか、おかしいわよ。 

――――誰のせい?

黒く、淀んだ、醜いナニカ。私の中で、ぽつんと形を成して。
それはみるみるうちに大きくなって、その内側で"怨み"や"憎しみ"という名の毒を育む。

喰らい、蝕む。

私の純粋で澄んだ恋心は、突き落とされたみたいに、あっと言う間もなく堕ちていった。

恋心は、私を完全に変えてしまった。

「…………」

シャワーを止めて、浴室を出た。

39: 2015/10/20(火) 22:52:29.38 ID:oi3ykLno0.net
真姫を私のものにしたいという思いは今も変わらないし、大好きだっていう想いも変わらない。
だから矛先が真姫に向かうなんてこともありえなくて。

なら、毒牙が睨むその先は、ひとつしかなかった。

「愛してるわ、真姫」

脱衣所を出るとき、チラと鏡に映った私の顔は。



――――笑っていたような。

40: 2015/10/20(火) 22:54:08.25 ID:oi3ykLno0.net
***



「花陽、ちょっといい?」

「なぁににこちゃん?」

ほっぺたに米粒をつけたまま、花陽は私に微笑みかける。

練習中にお腹が空いて仕方ないからと、花陽はいつも小さなおにぎりを練習前に頬張る。

私は、花陽が名残惜しそうに最後の一口を口に入れるのを見届けてから言った。

「凛のことなんだけど」

「むぐむぐ……凛ちゃん? 凛ちゃんがどうかしたの?」

ごくん――豪快に飲み込んで、小さな声で「ごちそうさまでした」と呟く花陽は、とても幸せそうで、愛らしい。

「ええ。あの子ね、あんたのこと、一人の女として見てるらしいのよ」

「…………へ?」

私はそんな可愛らしい純真に、毒を差した。

42: 2015/10/20(火) 22:55:45.33 ID:oi3ykLno0.net
「ねえ、凛」

「なに~?」

とてとて。楽しげな足音を鳴らして凛は私の前に立つ。

なんだかんだこの子は私に懐いてくれている。
たまに毒も吐くけど、凛になら(凛に限ったことではないけど)何を言われても許せたし、凛もある程度の境界線はわかっていた。

「なになに?おもしろいこと?」

いつでも私に笑顔と楽しさをくれる、天真爛漫な、もう一人の妹。

「花陽なんだけど……」

「かよちん?」

「うん、花陽さ、凛のこと、異性として見てるらしいの」

「…………え……えっと……なんで急に……どういう、こと……? それ、本当なの?」

「…………」

「……あ、ははっ、冗談キツいにゃ……嘘……かよちん、そういう、なの……?」

私はその無邪気を、咬み〇した。

43: 2015/10/20(火) 22:56:53.61 ID:oi3ykLno0.net
拙い言葉でもなんでもいい。
例え僅かでも綻びさえ生まれてしまえば、あとは勝手に、疑心が疑心を呼ぶ。

二人が「違う」っていうのはわかっていたから、その濁りがどうなっていくのかは、簡単に想像がついた。

「なあにこっち、花陽ちゃんと凛ちゃん、喧嘩でもしたん?」

「何言ってるのよ。あの二人に限って喧嘩なんかするわけないでしょ?」

「そっかあ……でも、心配やなぁ、なんかあったんかなぁ……」

二人は明らかによそよそしくなって、徐々に別行動をとることが多くなっていった。

44: 2015/10/20(火) 22:58:28.25 ID:oi3ykLno0.net
当然みんな不審に思って、探りを入れたり、直接本人たちに聞いてみたりもしてたけど、二人に本当のことが言えるわけないじゃない。

だってそれは、相手が異常性癖の持ち主ですってみんなに言いふらすことになるんだから。
優しいあの子たちにそんなことが出来るわけがない。
少なくとも、凛と花陽はお互いがお互いを大好きで、一番に想い合っているってことに関しては間違いではないから。

つまりは、避け続けること。もし近くにいたら、いつ相手が想いを打ち明けてくるかわかったものじゃない。
相手を傷つける勇気を、あの子たちは持ち合わせていない。

私はあの子たちのことが大好きだし、信頼してるし、よくわかっているつもり。だからこそ、この不安定な策略も臆することなく実行できた。

事実、それは成功した。

45: 2015/10/20(火) 23:00:42.16 ID:oi3ykLno0.net
ほら、真姫。

あんたはどうするの。

ねえ、壊れちゃったよ?

あんたが好きだって言ったもの、なくなっちゃうわよ?

取り繕ってみる?修繕できる?

違うわよね。簡単なことでしょ。

私のところに来ればいいの。私のものになればいいの。

私ならあんたを幸せにできるわ。だって、こんなにも愛してるんだから。

ねえ、こっち見てる?

ねえ、こっち見て。

46: 2015/10/20(火) 23:02:59.97 ID:oi3ykLno0.net
だけど真姫は。

「にこちゃん……何を、したの……」

握り締めた拳を震わせて、声に怒りを滲ませて、敵意をむき出しにした眼で――――私を睨みつけた。

「……何の話?」

「しらばっくれないで! にこちゃんなんでしょう!?凛と花陽に何かしたのは!!にこちゃんなんでしょ!!」

激しく声を荒げながら私を糾弾する彼女の瞳は、憤りを宿し、惑いに揺れ、哀しみに潤んでいた。

「ねえ、どうしてこんなことをするの……?」

私は答えられなくて、黙っていた。
なにか、間違ったことしたのかな。私は本気でそう思っていた。

47: 2015/10/20(火) 23:05:02.89 ID:oi3ykLno0.net
「答えてにこちゃんっ!! 私のことが気に食わないなら!気持ち悪いって思うなら!!私のことを攻撃すればいいじゃない!!」

真姫は苦しそうに胸を押さえて、高ぶる感情に腕を振るって。
哀しみに大半を支配された目で、沸き上がるものに従っていた。

「にこちゃんがそんな人だなんて知らなかった!!凛と花陽は何も悪くないのに!!にこちゃんなんて!」

待って。真姫、やめて。

「にこちゃんなんて!!」

ああ、やめて。その先は言わないで。

それを聞いたら私、壊れちゃうよ。

お願いだから。お願いだから。



「――――大っ嫌い!!!!」


プツン――何かが切れる音がした。

48: 2015/10/20(火) 23:06:37.60 ID:oi3ykLno0.net
「待って真姫!!」

私は血相を変えて、去ろうとする彼女の手首を一心不乱に掴んだ。

「離して!」

「あんたのことが好きなの!!」

いつ言おうかな。どうやって伝えようかな。あれやこれやと考えて、その全てをパッピーエンドで締めくくっていたいつかの私は、私自身の手によって〇された。

真姫はぼーっと、ただただ唖然として、肩の力を抜いた。

49: 2015/10/20(火) 23:08:53.06 ID:oi3ykLno0.net
「あの二人なんか見ないで。私のことを好きになってよ!」

きっと私の様子は滑稽なくらい必死だったと思う。

真姫は応えない。

「私あんたのためなら何でもする!全部捧げる!だから私のものになってよ!だから!嫌いになんて、ならないでよ……!!」

見上げれば、冷えた眼差し。

真姫は一言、意味がわからないと、そう言った。

そしてもう一度、離して、と吐き捨てて、私の手の届かないところへ行ってしまった。

伸ばしたところで、無駄だった。
真姫は、私をおいていってしまった。

50: 2015/10/20(火) 23:11:08.11 ID:oi3ykLno0.net
***



「本当に大丈夫なん?なんかあったらすぐに言うんよ?みんなにこっちのこと心配してるんやからね?」

電話口から聞こえるのは、もう何度目かになる希の台詞。
家の用事で練習を休んだだけだっていう嘘は、何回言っても信じてもらえなくて。

「うん、わかってるわよ。ありがと」

私は遮るようにお礼を言うと、電話を切った。

練習をサボったけど、家に帰る気にはなれなかった。
だって、今の私に、こころたちの頭をちゃんと撫でてあげられる自信が無かったから。

51: 2015/10/20(火) 23:12:52.60 ID:oi3ykLno0.net
空を見上げてみる。
そこには白と紺と僅かな橙としかないのに、私の耳にはわらわらした人の話し声と、自動車の喧騒と、どこかのスピーカーから流れるどこかで聞いた気のする歌とが聞こえていて、一瞬自分の居場所がわからなくなった。

希は多分、怯えている。私たちの間に走り始めたヒビに気づいて、恐れてる。
金槌を振るったのが私だとは、言えなかった。

握ったままのスマホにはメッセージが七つ。真姫以外の全員から。どれも私の心配をするものばかりで、ただ一つだけ、花陽からのものだけは全く別のものだった。

"にこちゃん、今どこ?"

私はそれにだけ、返事を打った。

52: 2015/10/20(火) 23:16:01.26 ID:oi3ykLno0.net
「にこちゃん」

しばらくすると、花陽がやってきて。

「ん、遅いわよ」

「えへへ、ごめんね」

私は無意味に謝らせてみた。

「それで、どうしたのよ」

「それは私の台詞だよ。真姫ちゃんと何かあったの?」

"真姫ちゃん"
その名前にピクリと身体が反応してしまった。

「やっぱりそうなんだ。真姫ちゃんも、放課後からずっと思いつめた顔をしててね……でも、私がそれとなく聞いてもなんにも答えてくれなくて……」

「別に、あんたには関係ないわよ」

「関係あるよ」

語尾は強く、だけど表情は抱きしめるように優しく、花陽は言った。
私は直視できなくて、目を逸らした。

53: 2015/10/20(火) 23:17:40.60 ID:oi3ykLno0.net
「仲違いって、辛いから」

それでも花陽は笑ってた。

「……私のせい、よね」

「にこちゃんは、悪くないよ」

「……ごめん」

「謝らなくてもいいよ」

変わらずの笑顔。
けど、その笑顔は大粒の涙を誤魔化すための張りぼてだった。
花陽はだんだんとしゃくりを大きくさせて、零すように語りだした。

「…………ひっく、にこちゃんから、聞いてから……ぐすっ……花陽、凛ちゃんのこと……っく、こわくっ…なっちゃってっ……」

ポロポロとこぼれ続ける涙を不器用に手で拭いながら、それでも花陽は笑おうとしてて。

54: 2015/10/20(火) 23:20:14.09 ID:oi3ykLno0.net
「そしたらっ……凛、ちゃんもぉっ……私の、態度に気づいたのか……ぅぇっ……だんだん…ぅうっ……よそよそしくっ……なってっ……」

私はただ、私の手で作り上げたものの結末を聞いていた。

「にこちゃん……どうして……花陽に、あんなこと言ったの……?あれがなければ、私は……ずっと……ずっと、凛ちゃんと友達でいられたのにっ……!!」

そこまで言って、花陽は人目もはばからず、大声をあげて泣き出した。

多分、どうしようもなくなっちゃったんだと思う。
今まで溜め込んでた悲しみと、私のことを責めてしまったこととの狭間で、辛くて仕方なくなっちゃったんだ。
この子は、優しいから。

55: 2015/10/20(火) 23:22:05.75 ID:oi3ykLno0.net
「花陽、ごめんね」

だから私は彼女のことをぎゅっと抱き寄せて、もう一度謝った。

「にこちゃん…!!うっぐ……私っ…今、にこちゃんのことぉっ……!!」

「大丈夫、大丈夫だから」

私は、そんな健気で、無垢で、優しさに満ちた花陽に対して。






――――ざまあみろと、思っていた。

56: 2015/10/20(火) 23:24:46.11 ID:oi3ykLno0.net
でも。

「……花陽、落ち着いた?」

「うんっ、えへへ、なんか逆になっちゃったね。ありがとにこちゃん」

「べつに、お礼を言われることなんかしてないわよ」

「そうかなぁ」

「そうよ。あと……その内、誤解も解けると思うわ」

「誤解?」

「ううん、なんでもない。ほら、今日はもう遅いから帰りなさい」

「にこちゃん、明日は練習出られる?」

「……どうかしらね」

「私はにこちゃんのこと待ってるからね」

「そう。ねえ、花陽」

58: 2015/10/20(火) 23:27:18.42 ID:oi3ykLno0.net
「なぁに?」

「ありがと」

「うふふっ、どうしてにこちゃんがお礼を言うの?」

「なんでもよ。ほら、帰った帰った」

「うん、じゃあねにこちゃん」

ざまあみろって思っておきながら、憎いって思っておきながら、どうして自分の首を締めるようなこと、言ったのかしら。
何に対して、ありがとうなんて言葉をかけたのかしら。

わからないけど。
恨めしくて愛しい後輩の背中を見送っていたら、帰ろうって気になってきて。

「冷えてきたわね……」

私はポケットに手を入れて、帰路についた。

59: 2015/10/20(火) 23:30:36.84 ID:oi3ykLno0.net
***



"校舎の裏で待ってるから"

それは、待ち望んだ真姫からのアプローチ。
スマホから目を離してチラと真姫を見ると、彼女は私のほうには目もくれず、練習着を片付けるなり部室を後にした。

私もさっさと着替えを済ませると、挨拶もそこそこに部室を出ていく。
視界の端に希の不安げな眼差しが映った気がしたけど、見なかった振りをした。

60: 2015/10/20(火) 23:31:39.08 ID:oi3ykLno0.net
アルパカ小屋の、奥の奥。生徒の間で一般に"校舎の裏"と呼ばれるそこは、一種のスポットになっていて。
つまり、恋人の愛し合う場所。とあるカップルが唇を重ね合わせていただとか、またとあるカップルが一糸纏わぬ姿で抱き合っていただとか、そんな噂はチラホラ流れてたけど、真偽の程はわからない。

けど、人が来ないというのは確かみたいで、同性愛者たちの密会の場というのは本当らしかった。

真姫はそのことを知ってか知らずか、校舎の裏を指定した。

多分、真姫のことだから"大事なお話をするところ"程度の認識なんでしょうけど。

61: 2015/10/20(火) 23:34:09.22 ID:oi3ykLno0.net
「……おまたせ」

くるくる。毛先を小さく上下左右に振りながら、目線を合わせず真姫は言う。

「待ってないから」

「そ」

私も淡々と返して。

しばらく、風の吹く音と、ときたま枯葉が地面を擦り上げる音だけが続いて。

私は真姫の唇がもどかしそうに震え動くのをただ見つめていた。

「……私、にこちゃんのことが嫌い」

ようやく紡ぎ出されたのは、そんな言葉。
研ぎ澄まされた刃のように、深く深く私の胸に突き刺さる。

「うん」

私は、頷いた。

63: 2015/10/20(火) 23:37:44.43 ID:oi3ykLno0.net
「でも、あのときはあんな態度をとって、ごめんなさい」

「……もう、気にしてないわよ」

脳裏に浮かぶ花陽の笑顔に、私は何故か裏切ってはいけないと、今更ながら思っていて。
精一杯取り繕って、透明を装った。

「本当にわからなかったの。何でにこちゃんが凛と花陽の仲を引き裂くようなことをしたのか。なんで私のことを好きって言ったのか。そしてその二つのことにどんな関係があるのか」

だから、とにかくあの場を離れたくて、冷たくあしらってしまった。
言いながら、真姫は髪を弄ぶのをやめた。

「私、うんと考えたわ。私の想いと、にこちゃんの想いと。勉強も手につかないくらい考えたの」

真姫はぎゅっと目を閉じてから、済まなそうな表情を私に向けた。

「そして、気づいたの。私のは、恋なんかじゃなかったって」

65: 2015/10/20(火) 23:40:42.99 ID:oi3ykLno0.net
さあっと、風が鳴く。追いかけるようにして足音を鳴らす枯葉の内のひとつが、私の足にぶつかって止まった。 

そんなことなんじゃないかとは、実は少し、思ってた。
きっと、真姫の心に深くまで踏み込んだのは、真姫が踏み込んで欲しいと思ったのは、あの子たちが初めてで。

「私は凛と花陽とずっと一緒に居たいと思ってるし、面と向かっては言えないけど、大好き。それに、なんでもしてあげたいとも思う」

それに、真姫には恋愛経験もない。
だから、その初めて感じた"大好き"を勘違いしてしまった。

「だけど、その、キスをしたいとか、独り占めしたいとか、そういうのじゃないって気づいたの」

66: 2015/10/20(火) 23:43:14.77 ID:oi3ykLno0.net
真姫はそれを私に伝えてどうしたいのか。
私には、わかってしまう。

大人びているから忘れがちになるけど、彼女はまだ16歳の少女。

"自分もそうだったから、相手もきっとそうだろう"
そういう幼い思い込みをしてしまったとしても、責られない。

「だから、もしかしたらにこちゃんのも――――」

ほら。

どうしてあんたはそうやって――――私を濁らせるの。

カバンを地面に落として、一歩、足を進める。
真姫の身体が強張るのがわかった。

67: 2015/10/20(火) 23:45:40.42 ID:oi3ykLno0.net
「未だにサンタさんが来てくれるような良い子の真姫ちゃんにはわからないでしょうけどねぇ!!」

声を荒げながら、一歩ずつ迫る。
脇を締めて、両手を胸の前で軽く握った、縮こまるような姿をした真姫は、たまらなくかわいかった。

「好きっていうのはね!相手をぐしゃぐしゃにしたくて!めちゃくちゃにしたくて!汚してやりたいって思うことなの!!」

――違う。

「私はあんたを私だけのものにしたい!!だから邪魔するものは壊れちゃえって思った!!」

――違う。

「私のは勘違いなんかじゃない!!全部どうでもいいの!!真姫だけが欲しいの!!」

違う。私が望んだものはそうじゃない。

私が隣にいて欲しかった真姫は、私が好きになった真姫は、こんな、こんな。



――――今にも泣き出しそうな、怯えきった顔なんてしてなかった。

「愛してるわ、真姫」

私は真姫の首の裏に手を回して、無理矢理に唇を重ね合わせた。

68: 2015/10/20(火) 23:48:39.01 ID:oi3ykLno0.net
初めてのキスは、柔らかくて、塩辛い味がして。
ママが言ってたみたいに、幸せの味なんかしなかった。

腕を放すと、真姫は綺麗な蒼い瞳から涙を伝わせていて、呆然としたまま唇をそっと指で押さえた。

そしてその涙の筋を一際大きくさせると、震えた声で喋りだす。

「……嘘。嘘なのよ。本当はにこちゃんのこと、嫌いになんてなれなかったの。
二人に酷いことをしたってわかってても、許してあげたらって、心の中で言ってる自分が居たの」

私は思ったよりもずっと冷静にその独白を聞いていた。ううん、眺めていたと言ったほうが正しかった。

「私は、にこちゃんが好き。大好きなの」

70: 2015/10/20(火) 23:50:47.80 ID:oi3ykLno0.net
私がその様をただ眺めていたのは、キスの余韻に浸っていたからでも、心が死んでいたからでもなくて。
その後に続く言葉がわかっていたから。それが私への"容認"じゃないってことがわかっていたから。

「だけどっ!……身体が拒絶するのっ!!私っ、今っ……にこちゃんのこと、気持ち悪いって思っちゃってる!!」

真姫の顔は、涙に塗れてぐしゃぐしゃになっていた。
なのに私は「かわいいな」なんて、まるで現実じゃないみたいに思ってて。

「私は!私が普通に生まれて来ちゃったことが悔しい……!!同性愛者じゃないことが疎ましい……!!」

「ごめんなさいにこちゃん!ごめんなさい!!」

そして、真姫は何度も謝り続けて、その内に逃げるように走り去っていってしまった。

止める気にはなれなかった。

71: 2015/10/20(火) 23:52:29.63 ID:oi3ykLno0.net
普通……か。やっぱり私が異常なのね、真姫。

希は、謝ったら許してくれるかしら。
凛たちは、元の仲良しに戻れるかしら。

失ったものは、数え切れなくて。
この手に得たものは、数えられなくて。

"アイドルに恋愛は御法度"
その言葉の裏に込められた本当の意味を噛み締めながら、立ち尽くす。
きっと私はしばらく、笑えない。

ねえ、恋って一体、なんなのよ。

この学校に溢れてる多くのものは、偽物で。
真姫の仄かなときめきも、嘘っぱちで。
私の毎日を彩った桃色のそよ風も、紛い物だった。

なら、本物はどこにあるの。

72: 2015/10/20(火) 23:54:31.19 ID:oi3ykLno0.net
私は、どこで間違えたの。

真姫に好きだって言ったとき?
凛と花陽を唆したとき?
それとも、あのカフェに入ったとき?

違う。私が過ちを犯したのは、多分もっと前。

あの日。そう、夏休みを迎えたばかりのあの日。

「にこちゃん、お誕生日おめでとう!」

そう言って、私にとびきりの笑顔を向ける彼女を、私は見るべきじゃなかった。

永遠の少女でいるべきだったんだ。

風が胸を貫いて。

「寒いよ……」

私は独り両腕を抱きながら、そう呟いた。

73: 2015/10/20(火) 23:54:54.04 ID:oi3ykLno0.net
おしまい

75: 2015/10/21(水) 00:00:47.52 ID:3ydqRPGlM.net
引き込まれる文章だった

78: 2015/10/21(水) 00:11:56.03 ID:zMYiTErK0.net
こういうのも百合ならではだよな
乙です

79: 2015/10/21(水) 00:19:31.27 ID:vlbfv8bEd.net
こういうのもええな…

80: 2015/10/21(水) 00:36:23.35 ID:TXPAYhV1D.net
凄く良かった、またこういうの見てみたい

81: 2015/10/21(水) 01:35:26.05 ID:biLF3S8L0.net
バットエンドいいね
心理描写が絶妙だった
恋愛観というとても難しいテーマだったけどすんなりと入ってきていい作品でした。ありがとうございます
おつ、

83: 2015/10/21(水) 02:52:47.66 ID:iULGlNJT0.net
たまらんな
乙乙

93: 2015/10/21(水) 13:40:21.22 ID:yDKfHezr0.net
文章が上手かった

95: 2015/10/21(水) 17:21:06.79 ID:B6JkvsgJ0.net
素晴らしい
また書いてくれ

96: 2015/10/21(水) 18:44:01.28 ID:ZlX3OSyfp.net
地の文多いやつ苦手なんだけど
引き込まれて読みきっちゃったよ
展開もよかった乙

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