彼方「朝に香る」【かなかりSS】

かなた SS


1: 2020/02/18(火) 01:13:03.82 ID:lVSXVMmF
・彼方×果林
・バレンタイン
・地の文

よろしければ

2: 2020/02/18(火) 01:14:53.78 ID:lVSXVMmF
時は2月の7日、放課後。場所はライフデザイン科○組の教室。
西陽で暖まりながら机に突っ伏す彼方ちゃんのところに、果林ちゃんがお迎えに来た。

「ほら彼方! 部活の時間よ、起きなさい」

頼む感じじゃなくて、命令する感じの言葉に反して、果林ちゃんの起こし方はいつも優しい。
パンパンと手を鳴らして、つんつんと背中を突っついて、とんとんと肩を叩いて。
そうやって、少しずつ刺激を大きくしていく。
それでも彼方ちゃんが起きないと、今度は少し遊びが入ってくるんだよね。

4: 2020/02/18(火) 01:16:19.90 ID:lVSXVMmF
さらり、さらり。
彼方ちゃんの髪をそーっとそーっと、優しく触って。このときの、不器用に撫でられてるみたいな感触が、お気に入り。
だからいつも、途中で起きてても、ここまでは狸寝入りです。
……。
そうして一通り楽しんだあとは、ぴたりと手が止まって、思い出したように体をゆさゆさと揺さぶる。
もうちょっと続けてくれても、いいんだよ?

「彼方起きて。かーなーたー? ねえ、彼方ちゃーん?」

…もうひとつ。こんな風に、色んな声色で、色んな形で名前を呼んでくれるのも、彼方ちゃんのお気に入りです。

6: 2020/02/18(火) 01:17:58.71 ID:lVSXVMmF
「彼方ー、かにゃた…。かにゃたにゃーん?」

「にゃーご~」

「…!?」

むふふふふ。なんだか可愛いことしだしたから、こたえてみましたにゃん。
顔を真っ赤にして、いつから起きてたのよ、なんて叫ぶ果林ちゃん。実際には、口がぱくぱくしてるだけで声にはなってなかったんだけど。
それも面白くて、何より可愛くて。彼方ちゃんは思わず笑みがこぼれます。
果林ちゃんの方はというと、ため息をひとつついて。

「…まぁ、タイミングは悪かったけど、起きてくれたならよかったわ。部室行きましょ、みんな待ってるから」

「ふふ…了解だにゃ~ん」

「……。早く枕片付けなさい」

「はーい」

7: 2020/02/18(火) 01:20:53.43 ID:lVSXVMmF
「その、さっきの…猫のやつ。あれみんなの前で言うのやめて頂戴ね」

「え~。可愛かったよ?」

「嫌なのよ。からかわれるのも、本気にされるのも」

部室に向かって、てこてこ歩く彼方ちゃんたち。ひとつ聞きたいことがあったんだけど、話題はもっぱら猫果林ちゃんです。にゃお。

「忘れて、なんて虫のいいことを言ってる訳じゃないのよ。ただ秘密にして欲しいってだけ」

ひみつ。
それもじゅうぶん虫のいいことでは、というセリフを引っ込めて、その3文字を反芻した。ひみつ、か。
彼方ちゃんと果林ちゃん、二人だけの…ふーん…。

「彼方? 急に立ち止まってどうしたの?」

こっちを見てる。いかん。もう少しで顔に出るところだった。

「…あとそのにやけ顔、絶対言うつもりでしょ」

なんと、いかん。間に合わなかった。

9: 2020/02/18(火) 01:23:34.14 ID:lVSXVMmF
「こ、これはちょっと違いまして…。大丈夫、言わないよ。秘密だもん」

われながら苦しい言い訳。
ほんとかしら、って顔に書いてあったから、案の定信じてもらえなかったみたい。
うーん、何か名案は…。

「あ」

そうだ。流れで聞いちゃおう。果林ちゃんも安心するだろうし…こっちも恥ずかしくない。

「果林ちゃん、お願いがあります」

「え?」

「みんなには猫果林ちゃんを内緒にする代わりに、ひとつ、彼方ちゃんの質問に答えてほしいのです」

「なるほど、交換条件ね」

というか猫果林って何よ、というノリツッコミもいただきまして、本題。

「じゃあ、早速。果林ちゃんはさ、」

そろそろ聞かなきゃ、とは思ってたけど、なんとなくタイミングが悪くて…いや、勇気が出なくて困ってたこと。

「…果林ちゃんはさ、どんなチョコが好き?」

近江彼方、18歳。
今年のバレンタインは、本命を渡したい人がいるのです。

10: 2020/02/18(火) 01:26:38.23 ID:lVSXVMmF
時は2月の9日、お昼過ぎ。場所は虹ヶ咲学園が誇る特別教室のひとつ、調理室。
…うーん、他の科の教室と比べると、地味ーな気がしないでもないなぁ。そもそも調理室自体は色んな学校にあるし。

「…そろそろかな」

ここで彼方ちゃんは、色んな人に渡すチョコレートを作っています。
クラスの友達、同好会のみんな、そして。

「! ん~、完璧。今年も喜んで貰えそう」

今、遥ちゃんへのチョコが完成しました。
正確には、味付けというか、甘味と食感の最終調整が終わっただけで、チョコの形成、デコレーション、その他ラッピングとかちょっとした作業が残ってるけど。
とにかく遥ちゃんのが一段落ついたので、洗い物をしつつ次のチョコ、果林ちゃんに渡す本命に考えを切り替える。
果林ちゃんの言葉が、もう何度目になるのかな、フラッシュバックしてきた。

─────
───

11: 2020/02/18(火) 01:28:08.76 ID:lVSXVMmF
『好きなチョコを答えるだけでいいの? ……。そう』

『うーん…まぁ、甘すぎないチョコかしら。ほら、職業病…なんて大層なつもりじゃないけど、糖分がどうとか、カ口りーがどうとか、つい考えちゃうから』

『それに、たくさん貰っちゃうし…。ありがたいけど、食べることを考えたら困るのも事実というか、ね』

『…? 何をむすっとしてるのよ。ファンの子とか、料理好きな友達とか、彼方にもいっぱいいるでしょう』

『…あ、そっか。彼方は料理のことに関してはこだわりがあるものね』

『そうよ! ねえ。彼方の全力のチョコが食べられる機会なんて、そうそうないでしょう?』

『それならいっそ、私の好みなんて気にしなくていいから、例えばどれだけ甘くても大丈夫だから。私ね…』

『私のためだけの、彼方の特別が欲しいわ』


───
─────

12: 2020/02/18(火) 01:29:58.56 ID:lVSXVMmF
「はあぁ…」

胸の奥に溜まった熱が、ため息になってこぼれる。何度思い返しても、心臓はうるさいし、耳の先まで熱くなる。
…とんでもないことを、言ってくれる。果林ちゃんの女たらしめ。
わかってる。
果林ちゃんは、ライフデザイン科の特待生の近江彼方に、スクールアイドル同好会のお料理番長(?)の彼方ちゃんに、美味しいものを作って欲しいだけ。
だからあの言葉は、表裏なんて一切ない。本当にただ、私に気兼ねなくチョコを作って欲しいだけなのだ。
わかってはいる。わかってはいる、けれど。だからこそ。
特別が欲しい、なんて。私の心には、非常によろしくないのだ。

13: 2020/02/18(火) 01:32:15.58 ID:lVSXVMmF
とは言え、元から好みを聞いて、それを参考に本命を渡すつもりだった身。いつまでも気後れしてはいられません。
こうなったら、誰にも負けないような特別を、納得がいくものを作るしかない。

「よぉし…!」

ぱち、とほっぺを叩いて気合いを入れる。

「……」

…思ってたより痛かった。

─────
───


気がつくと、もう夕方になっていた。なのに、まだ大体の案すら思い浮かんでいない。
とりあえず作った試作品は、美味しくできた。ひょっとしたら一番うまくできたものだってあったけれど。
難しい。何が難しいって、そもそもの話。

「特別って、なに…?」

これなんです。

14: 2020/02/18(火) 01:34:29.44 ID:lVSXVMmF
例えば、意外な食材で作るとか。
例えば、すごい技術を使うとか。
例えば、すごく大きくしたり、量をたくさんにしたり、とか。
逆にあえて全然美味しくないものを作る、とか。
相手の好みに合わせたり、自分の好みを押し付けたり、ラッピングや渡し方、メッセージカードなんかで、チョコ以外にも工夫を凝らしたり、とか。
考えれば考えるほど、手を動かして試せば試すほど、そのどれもが正解で、でもそのどれもがハズレみたいに思えてしまう。
弱った。勉強で詰まったときは、他の教科に手を出したり、人に聞いたりするところだけど、もう他の人へのチョコは仕上げまでやってしまったし、他の人には知られたくない。

「どうしようかな…いっそお昼寝を、いやでも時間…」

むむむ、と小さく唸っていたそのとき。

15: 2020/02/18(火) 01:36:47.94 ID:lVSXVMmF
「あら。調理室で手が止まってる彼方なんて初めて見たわ」

「か、果林ちゃん…!?」

珍しいこともあるのね、なんて言ってこっちに向かってくる、元凶…じゃない、果林ちゃん。

「果林ちゃんこそ…休みの日にここに来るなんて珍しくない?」

「まあね。でも、寮の貸しキッチンスペースが、この時期は人いっぱいなのよ。こっちなら申請さえすれば落ち着いて作業できるでしょう?」

がさりと材料を置きながら答えて、味見してって色んな人から声かけられるし、とさらに愚痴を続ける。
…去年と一昨年で色々経験したのかな。
当たり前だけど、彼方ちゃんが虹ヶ咲に来る前から、色んな子から貰ったり、逆に渡したりしてるんだよね。
……。なんか、やだな。

「あ、ちなみに着いたのはさっきよ。撮影が長引いちゃって…、彼方?」

「あっ、な、なに?」

「えっと、機嫌悪くしちゃった…?」

…こういう時ばっかり、呆れるくらい気がつくのになぁ。

16: 2020/02/18(火) 01:40:16.37 ID:lVSXVMmF
「ほら、行き詰まってるところにお邪魔しちゃった訳だし…」

「…ううん、そんな邪魔だなんて。ちょっと休憩しようとは思ってたから」

むしろ果林ちゃんが来なかったらお昼寝して怒られてたかも、と誤魔化してみる。
それならよかった、彼方らしいわね、って笑ってくれたけど、ほんとに騙せたかどうかはわからない。
むしろ本音が伝わってくれたら、なんて。
そうじゃないよ。果林ちゃんとのバレンタインの思い出がないのが寂しいんだよ。
って言ったら、果林ちゃんはどんな顔をするかな。どんな風に励ましてくれるんだろう?
…言ってみようか。なんだかちょっと、色々うまくいかないもやもやから、やけっぱち彼方ちゃんが顔を出す。いっちゃえ。

「果林ちゃ──「彼方、」

この人のタイミングはいつもいつもどうなってるんだ。出鼻をぽっきりくじかれてしまう。

17: 2020/02/18(火) 01:41:47.36 ID:lVSXVMmF
「この前、私、彼方の質問に答えてたとき、流れでバレンタインのリクエストしちゃったでしょ?」

「うん…」

そのせいで、彼方ちゃんは大変なんだぞ。わかってるのか。
思い出して、またしても顔から火が出そうになるのを、精一杯怒って抑える。

「代わりってわけじゃないけど、彼方は私に、何かリクエストある?」

「特別」

考える前に、それが口をついて出ていた。いや、今日ずうっと考えていたことだから、考える前ってことでもないのか。

「彼方ほど料理には自信ないけど…って、え?」

「私も、果林ちゃんの特別が欲しい」

18: 2020/02/18(火) 01:44:09.97 ID:lVSXVMmF
びっくりするくらいの静寂。世界から二人きり、まるっと切り離されたみたいな。

「……」

…これは、あれです。
やけっぱち彼方ちゃんに、怒りの感情がプラスされて、たいへんまっすぐな物言いをしてしまったようです。
鈍感とか、女たらしとか、そういうのじゃなくてよかった。なんちゃって。

「……」 

沈黙のまま時間だけが過ぎる。
言ってやったぞ、と少しスッキリした気分もありつつ、出てしまった言葉をどうにかして引っ込められないかと焦りつつ。
でも一方で冷静にどうしようかとも考えてもいて。
とりあえず、果林ちゃんのお返事を待ってみる。
この後どうなるかが怖くて展開を果林ちゃん任せにしているだけでは、と冷静な彼方ちゃんが言うけど、ここはスルーします。

19: 2020/02/18(火) 01:47:27.85 ID:lVSXVMmF
「…わかった」

たっぷり…何分だろう、ほんとは何秒とかなんだろうけど、とにかく時間が経ってから、果林ちゃんが短く答えた。
緊張が解けて、世界に音が帰ってくる。
果林ちゃんが材料をがさがさと戻す音。自分の早い心臓の音、少し荒い息遣い…あれ?

「果林ちゃん、もう帰っちゃうの?」

「それは、だって…。チョコを贈り合う二人が、一緒の場所で作るのは…ちょっと、恥ずかしいじゃない?」

歯切れ悪く言って、困ったように笑う。
…ごもっともです。

「よし。…ねえ、彼方。あなたには及ばないかもしれないけど、楽しみにしてて頂戴?」

「…うん。果林ちゃんも」

「もちろん。期待してるわ」

また明日ね、と手を振る果林ちゃんに、ぷらぷらと手を振り返した。

20: 2020/02/18(火) 01:52:19.15 ID:lVSXVMmF
ひとり。再び静かになった調理室。
ああ何てことを言って。チャンスはあるみたい。どうする。怖いな。作るしかない。果林ちゃんの特別。嬉しい。二人が贈り合う、だなんて。買ってた材料は。恥ずかしい。ハードル上がったじゃん。特別。果林ちゃん。
特別。
ごちゃごちゃした頭の中と心の中、それがすうっと浮かび上がって。

「……」

ぱちり、と今日2回目のセルフきつけ。
やっぱり痛いし、1回目のときよりも力が入っちゃってたけど。

「…逃げないぞ」

ほっぺたはじんじんして熱を持ってたけど、それに負けないくらい、胸の奥も熱くなっているのを感じた。やってやる。
これをカタチにして、届けたい。果林ちゃん。
私の特別、見つけたよ。

21: 2020/02/18(火) 01:55:39.56 ID:lVSXVMmF
時は2月の14日、夜。場所は寮、果林ちゃんのお部屋。
部活の後、同好会のみんなとチョコの交換会をして、それで。
ふらっと彼方ちゃんのところにやって来た果林ちゃんが、私の部屋で交換しましょう、って。
囁くみたいに言われたから、まだ耳がふわふわしてるんだけど、とにかく。
これから、特別な交換会の時間です。
…と言っても、果林ちゃんは寮の友達にチョコを渡すからって言って、もうしばらく待たなきゃいけないんだけどね。

「すー…はー…」

緊張をほぐそうと深呼吸をしてみても、果林ちゃんのお気に入りの…つまり、いつもの果林ちゃんのアロマの香りがするせいで、ちっとも落ち着けない。

22: 2020/02/18(火) 01:58:46.24 ID:lVSXVMmF
あのごめんなさい、書き溜めたものが吹き飛びました。もう今日は無理です死にたいおやすみなさい

34: 2020/02/19(水) 02:27:49.71 ID:B1J/FUhf
時は2月の14日、夜。場所は寮、果林ちゃんのお部屋。
部活の後、同好会のみんなとチョコの交換会をして、それで。
ふらっと彼方ちゃんのところにやって来た果林ちゃんが、私の部屋で交換しましょう、って。
囁くみたいに言われたから、まだ耳がふわふわしてるんだけど、とにかく。
これから、特別な交換会の時間です。
…と言っても、果林ちゃんは寮の友達にチョコを渡すらしくて、もうしばらく待たなきゃいけないんだけど。

「すー…はー…」

緊張をほぐそうと深呼吸をしてみても、果林ちゃんのお気に入りの…つまり、いつもの果林ちゃんのアロマの香りがするせいで、ちっとも落ち着けない。

35: 2020/02/19(水) 02:29:05.01 ID:B1J/FUhf
落ち着けない、といえば、なんだか落ち着かない、ふわふわした一週間だったなぁ。
あれから、気合いを入れ直して試行錯誤の末にこれを完成させたはいいけど、なんだか気が抜けちゃって。
早く渡したいような、ずっと持っていたいような。
楽しみなような、怖いような。
夜中時々取り出しては、ラッピングの上からつうっとなぞってみたりして。

「果林ちゃんも、そうだったのかな」

特別。意識してくれたかな。くれたよね、きっと。
早く来ないかな。でも、まだ来てほしくないな。でも…。

─────
───

36: 2020/02/19(水) 02:30:21.78 ID:B1J/FUhf
「ごめん! 遅くなって…!」

がちゃり、とやや乱暴にドアが空いて、そんな言葉が飛び込んできた。
おかえりー、と間延びした声で迎えると、果林ちゃんは両手いっぱいにチョコの紙袋を抱え込んでて。
朝も昼も放課後だって、いっぱい貰ってたのに、一体どれだけモテるのか。
嫉妬を通り越して、素直に驚いてしまう。

「おぉ…またまたすごい量…」

「本当。でもこれ、全部私宛てって訳じゃないのよ?」

「え? 果林ちゃんに渡してるのに…?」

「えーっと、ほら、同好会の中ではエマと私が寮生だって、ちょっと調べたら出てくるでしょ? だから外部の人は一旦寮に送ってるみたいなの」

一旦私とエマで預かってるってわけ、もちろん彼方のもあるわよ、とひとつ、可愛いラッピングがされたものを手渡される。
To 近江彼方 ちゃん。
おぉ、ほんとだ。これは嬉しい…けど…。

「…これ、誰かに怒られない?」

「うーん、確かに…。危険物の可能性がどうとかって、生徒会長に言われちゃいそうね」

……。
ごめんね、と呟いて、可愛いプレゼントを紙袋の山にご返却です。

37: 2020/02/19(水) 02:31:16.34 ID:B1J/FUhf
「……」

「……」 

エマちゃんに、外部の人から受け取ったチョコは、まだ手を付けちゃダメよ、と果林ちゃんが連絡を入れたあと。(ちなみにそのとき、そんなぁ、というふにゃふにゃの声が聞こえた。)
果林ちゃんのお部屋になんとも言えない沈黙が降りていた。
どう、しようかな。どっちから切り出すのが自然だろう。
お部屋に誘ったのは果林ちゃんで、リクエストを先にしたのもあっち。
でも今回にすごく懸けてるのは彼方ちゃんだし、だとしたら…。

~♪

…びっくりした。電子音。彼方ちゃんのスマホ…遥ちゃんからだ。
果林ちゃんのどうぞ、って合図を待って、電話に出る。

38: 2020/02/19(水) 02:32:17.62 ID:B1J/FUhf
「…もしもし」

『もしもしお姉ちゃん? 今日遅いし連絡もないけど…お泊まり?』

「お泊まり…?」

うっかりしていた。狼狽えてしまい、思わずおうむ返し。
すると遥ちゃんではなく果林ちゃんが反応して、帳簿につければ大丈夫よ、と真顔で伝えてくる。
…ちょっと待って欲しい。お泊まり? フリーズしていると、遥ちゃんの追撃。

『バレンタインにお泊まりなんて…お姉ちゃん! 絶対このチャンスものにしないとだね!』

興奮したようにおやすみ!と電話が切れてしまう。ちょっと待ってください。
慌てて果林ちゃんに聞かれてやしないかと目を向けると、寮母さんに連絡を取っているところだった。遥ちゃん、危ないよ。

「…はい、お願いします」

果林ちゃんの方も内線が切れる。えっと。
…チョコ交換会のつもりが、バレンタインお泊まり会になりました。

39: 2020/02/19(水) 02:33:31.51 ID:B1J/FUhf
急に決まって準備もないので、果林ちゃんから部屋着を借りることに。
体格の違いと、匂いを意識してしまって、どきどきするのが抑えられない。…参ったなぁ。
これから彼方ちゃん、一世一代の大勝負なのに。
丸テーブルの向こう側の果林ちゃんをちらっと見る。

「あ」

ばっちり。目が合う。慌てて逸らされちゃったけど。

「なっ…なんで」

じっと見てるの、と言い切る前に、違うの!と焦った声。

「あの、ね!? 私の服だけど、彼方が着るとちょっとだぼっとして、印象変わるなーって見てただけ!」

その後も、寒色系も似合うわね、とか。この服に合うヘアスタイルは、とか。
色々と早口で捲し立てられて、ただただテンパってるのが伝わってくる。ひょっとして。
…果林ちゃんも、緊張してたりしたのかな。
そうだといいな。

40: 2020/02/19(水) 02:34:21.38 ID:B1J/FUhf
「…って、笑わないでよ、彼方ぁ!」

おっと。ちょっと安心したのが漏れたみたい。
でもそれよりも、情けない果林ちゃんの声にもっと笑ってしまう。
小さく唸って恥ずかしがる果林ちゃんに、ごめんね、と謝ってから。

「ね、果林ちゃん。チョコ、交換しよ?」

「…えぇ」

少し和らいだ空気の中で、二人だけの交換会が始まりました。

41: 2020/02/19(水) 02:35:18.68 ID:B1J/FUhf
からからから、と白い食器の上に、ほとんど真っ黒のクッキーが広がる。
そのひとつをひょいとつまんで、怪しむように見る果林ちゃん。

「これ…。焦げてこの色になったわけじゃないわよね」

彼方のだし、とすんすん鼻を鳴らす。

「匂いは普通のチョコクッキーって感じね…。食べてもいい?」

「どうぞどうぞ。目が覚めるような味になってるよー」

ふーん、って感じにさくっと噛った、その瞬間。

「!? えほっ、ご…、にっっっが!?」

そう。こちらはなんと、遥ちゃんと昔共同開発した、超ビターチョコクッキー。その改作。
用途はもっぱら罰ゲームでした。主に寝過ごした彼方ちゃんへの。

42: 2020/02/19(水) 02:36:08.24 ID:B1J/FUhf
口直しに豆乳を飲んでいる果林ちゃんに、説明を続ける。
涙目になっているのが可愛くて、申し訳なさと合わせて胸がきゅうと締まる。

「ビターチョコをベースに、苦味だけじゃなくて酸味や、ほんの少し辛味を足したりして、瞬間的かつ複雑な苦さを表現しています」

「目が覚める、ってそのくらい美味しいって喩えじゃなくて、物理的にそのくらい衝撃的な味ってことだったのね…!」

「えへへ、騙したみたいでごめんね~。…でも、これのすごいところはここからなのです。苦いってわかったと思うけど、もう一個食べてみて?」

「…わかったわ」

露骨に嫌そうに、ためらいつつ口にクッキーを運び、さくり。ぎゅっと目をつぶってこわごわと口にしたけれど。
もぐ、もぐ。
あれ?って顔しながら、二口、三口。
ごくんと飲み込んで、ひとこと。

「美味しい…?」

「ふふん」

43: 2020/02/19(水) 02:37:41.73 ID:B1J/FUhf
「嘘。なんでかしら? 確かに苦いのは苦いのに…」

もうひとつつまんで、今度は味わうみたいに噛み締める。

「不思議でしょ? 彼方ちゃんも最初はびっくりしたもん。…簡単に言うと、慣れだよ」

「慣れ…」

もぐもぐしたまま、口許を上品に手で隠して相づちが返ってくる。

「お料理が進化することで、人間の舌も進化してきました。ちょっと意味は違うけど、舌が肥える、なんて言うよね」

「一口めより二口めの方が、さらにそれよりも三口めの方が、より正確に味を分析できるようになるんだって。色んなものを食べる人ほど、ね」

「それに加えて、味というものは、見た目、におい、食感、果ては記憶や先入観。ありとあらゆるものの影響を受けます」

「『とても美味しい』と思って食べたから、すごく苦く感じちゃった。でも『すごく苦い』って思って食べても、実際の苦さは最初の衝撃的なレベルじゃない」

「そうすると、味を分析する余裕が出てきて。漠然とした苦さの中に、ちゃんとした味を感じるのです」

44: 2020/02/19(水) 02:39:20.50 ID:B1J/FUhf
「…すごいわ、彼方。本当に」

気に入って貰えたのが嬉しくて、ぺらぺら喋ってしまった。
果林ちゃんも手を止めて聞き入ってくれていて。なんだか恥ずかしいな。

「えへへ。頑張った甲斐があったよ」

「こんなの食べたことないわ」

予想はしてたけど、予想以上ね、と食べるのを再開する果林ちゃん。
…ほんとはね。
ベースにしているビターチョコは、果林ちゃんがこの前調理室に持ってきてたメーカー。
クッキーの焼き加減は、前にとっても褒めてくれたのになるべく近づけて。
お気に入りだってオススメしてくれたコーヒー。好きなブランドの苺。
いつも食べてるサラダや練習後のプロテイン、寮食だってリサーチした。
果林ちゃんの好きなもの、慣れ親しんだものだから、味を見つけるのも簡単で、楽しいんだよ。
果林ちゃん以外が食べたら、そこまで美味しくないか、美味しく感じるまで時間がかかるだろうね。これは、そういう『特別』。
…なんて、全部話したら引かれちゃいそうだから、この辺りは秘密だけど。

「…後でお話しながら彼方ちゃんも食べたいから、全部は食べないでね」

「あ、そっ、そうね! わかったわ」

それに。もうひとつ、大事な役目が残っているので。

45: 2020/02/19(水) 02:40:31.03 ID:B1J/FUhf
「ありがとう彼方。こんなの貰っちゃったら、さすがにちょっとやりにくいけど…」

一息ついて、今度は私の番ね、とまるでライブの前みたいに気合いの入った笑顔を浮かべる。
負けず嫌いで、ストイックで、プライドの高い果林ちゃんだ。
言葉とは裏腹に、本当に本気で彼方ちゃん以上のものを作ろうとしたに違いない。
もちろん、みんなに渡していたマフィンだって、手を抜いていたわけじゃないだろうけど。実際美味しかったし。
それでも。嬉しくて、楽しみで、どきどきしてたまらない。

「まずはこれ、食べてみて」

あのときから、想像していた、果林ちゃんの特別。
期待を込めて目をあければ、そこには。

「…お?」

チョコチップマフィン…?

46: 2020/02/19(水) 02:41:30.88 ID:B1J/FUhf
「果林ちゃん?」

みんなに配ってたのと同じだよね、と問いかける。
対する果林ちゃんはそうね、と笑って。

「でも、ちゃんと特製よ。食べてみたらわかるわ」

それを改めて言われると弱い。
彼方ちゃんのも、食べて初めてわかるものにしたんだし。フォークで切ったマフィンをと口に入れる。
もぐ、もぐ。噛めば噛むほど、違和感が増す。これ…。

「お昼にもらったのより、美味しくない…」

「…は、ハッキリ言うわね」

確かめるように二口め。…うん、やっぱり。この物足りなさは全然甘くないからだ。
果林ちゃんは、こくんと彼方ちゃんが飲み込むのを待ってから、口を開いた。

47: 2020/02/19(水) 02:42:55.96 ID:B1J/FUhf
「彼方はバレンタインのとき、自分用に何か用意してる?」

してない、かな。…え?
まさか、この甘さ超控えめマフィンって…!

「その顔、もしかして気付いた? これは私が自分で食べる用のマフィンなの」

「えぇ…。なんでこんなに美味しくないのを…確かに甘過ぎないのがいいって言ってたけど、これはちょっと」

特性マフィンにドン引きしている彼方ちゃんをよそに、果林ちゃんは続ける。

「前も言ったけど…たくさんチョコレートを貰えるのは嬉しいの。気持ちがこもってるのも沢山あるし、中にはこもりすぎて髪の──ご、ごほんっ!」

「な、なんでもないわ。とにかく、沢山の中には色々あるってこと」

「…でもね、ずーっとチョコ味のものばっかり食べてると、だんだん一つ一つを味わうのが難しくなって」

「でもそれってかわいそう、じゃない…もったいない、でもなくて…うーん、失礼…そう、失礼じゃない?」

だからね、とひとつを手に取り、ちぎって食べる。苦笑いを浮かべながら。

「これを用意しておくの。口の中をリセットさせるための、本当にプレーンな、甘さゼロのマフィンをね」

48: 2020/02/19(水) 02:43:53.52 ID:B1J/FUhf
「……」

「…果林ちゃん?」

不自然な間が開く。
彼方みたいにうまくは喋れないわね、とため息。
何のことだろう、と思っていると、電子レンジが鳴る。
いつの間に作業してたんだろう、と考えていると、マグカップをふたつ、果林ちゃんが丸テーブルに運んできた。

「それでね。ここまでが『特製』の話で…ここからが、」

さっきまでの苦笑いや困り顔ではなく、あの挑戦的な笑みを浮かべて、こう続けた。ずっと待っていた言葉を。

「彼方へ贈る『特別』よ」

50: 2020/02/19(水) 02:45:20.57 ID:B1J/FUhf
ごとり、と彼方ちゃんの前に置かれたそれは、濃い茶色のとろとろした液体。

「見たらわかる、わよね?」

「ホットチョコレート…?」

「そう。熱々になったチョコレートに、これを溶かし込むの」

マグカップの液面をじっと見つめていたら、そんなことを言いながらとぷん、と。マシュマロを入れた。
そのままスプーンでかき混ぜる。濃い茶色の中に、白色が無理やりに広げられていく。

「どんな味になるか、想像できる? 甘いもの+甘いもの…糖分+糖分…」

ぐるぐる。ぐるぐる。
なんだかIQの低そうな計算式を立てながら、果林ちゃんがチョコとマシュマロを混ぜていく。

「…そうだわ。彼方言ってたわよね、味っていうのは色々なものの影響を受ける、って」

「言った、けど…?」

51: 2020/02/19(水) 02:46:12.67 ID:B1J/FUhf
「ふふ、思い出して。さっきまで食べていたのはなあに? そう、本来『甘い』はずの『甘くない』マフィンよね」

かき混ぜるスプーンがぴた、と止まって、人差し指を立てた果林ちゃんの右手が、近づいてくる。
長くて綺麗だな、なんてちょっとぼーっとしていると。
ふに。
唇に触れられていて。

「口の中、甘いものに飢えてるんじゃない?」

挑戦的を通り越して、挑発的を飛び越えて、蠱惑的な喋り方と、その目にに引き込まれる。
自然に手をとられ、マグカップに添えられる。このまま口にいれれば、広がるのはきっと…。

「さぁ、召し上がれ」

想像だけで溢れてきた唾を一度、ごくりと飲み込んで。
マグカップに口を
つけ

52: 2020/02/19(水) 02:48:18.00 ID:B1J/FUhf
甘い。
なんてものじゃない。舌が痺れるんじゃないかというくらいの甘味。
熱さも手伝って、色んな意味で胸が焼けそうなほど、暴力的なまでの甘さを誇るホットチョコレート。

「…ぅ」

お酒は飲んだことないけど、酔うってこんな感じなのかも、と思うほどにくらっときた。
寝ぼけている感じとも違う、ぼやけた思考の中で、果林ちゃんの声が響く。

『美味しい? ……。ふふ、よかった』

『これね、お母さんとの思い出のチョコレートなのよ。バレンタインに作ってもらったわけじゃないけど』

『私の地元、雪が多いでしょ? 6歳のとき、初めてスキーをしたときね、全然うまくいかなくて、寒さと冷たさでぶるぶる震えながら泣いてたの』

『でも負けるかって何度も何度も挑戦して。とうとう初級コースを最後まで転けずに滑り終えたとき、お母さんに褒めてもらいながら、これを飲ませてもらったの』

『体の芯から温かくなったわ。そんな、思い出の…』

53: 2020/02/19(水) 02:49:50.19 ID:B1J/FUhf
「私にとっての『特別』」

その言葉で、ふっと現実に引き戻される。
気付いたらマグカップは空になっていた。
困惑するこっちをよそに、果林ちゃんは続ける。

「…ねえ彼方、特別って難しいわよね。私、調理室では彼方を手が止まってるだなんてからかっちゃったけど、この一週間、ずうっと考えてた気がするわ」

「彼方ちゃん、も…」

「ふふ、やっぱり? それと、もうひとつ。私がこんなに特別を、大切なことを考えるきっかけをくれた相手が、そして実際にこれを渡す相手が…」

少し目を伏せて、頬を染め、指が白くなるくらいにマグカップを握りしめて。果林ちゃんは。

「あなたで…彼方で良かったって、心から思ってるの。…ありがとう」

そんな風に、言ってくれた。

54: 2020/02/19(水) 02:51:00.02 ID:B1J/FUhf
どういう意味なの、って聞いてもいいのかな。聞いたら、何が返ってくるのかな。
心臓が痛い。聞こえちゃうんじゃないかってくらいうるさい。
ホットチョコレートで暖められた胸の奥に、果林ちゃんの言葉がまるごと入ってきたみたいで。それも。
あんな顔で言われたら私、果林ちゃん。

「……」

「……」 

私も、伝えよう。そのために、来たんだ。きっかけをもらったのは、果林ちゃんだけじゃないんだ。
泣きそうだけど、泣いてられない。まずは。

「…っ、そろそろ、片付け──「待って!」

55: 2020/02/19(水) 02:52:11.90 ID:B1J/FUhf
「え? かな…彼方っ!?」

すっとんきょうな声が上がる。
それもそのはず。
彼方ちゃんが、いきなりマフィンとクッキーをすごい勢いで頬張り始めたから。
思考をクリアにするために、まずこの甘ったるい口の中を切り替える。
幸い、ここにあるのは。
果林ちゃんのお墨付きの、お口リセット用マフィンと、罰ゲームクラスのビタークッキー。
いずれもいずれも、特別仕様だ。
味しない。苦い。ちょっと甘い。めちゃくちゃ苦い。

「な、何してるの…?」

ごくん、と飲み込む。
どうやら、空気が変わったのは、口の中だけじゃないみたい。
果林ちゃんも、さっきまでの儚い印象はどこへやら、なんだかぽかんとしてる。

56: 2020/02/19(水) 02:53:27.54 ID:B1J/FUhf
「えっと、口直し、いる?」

自分のマグカップと豆乳を交互に指差しながら、彼方ちゃんに確認を取る。でも。

「大丈夫」

「あっ、あら、そう…」

「果林ちゃん!」

「は、はいっ!?」

「かっ、彼方ちゃんも…私もっ」

震える手で鞄からもうひとつの『特別』を取り出す。
包装を取っ払って。丸テーブルを乗り越えて、果林ちゃんの隣に陣取る。
準備は、できた。

57: 2020/02/19(水) 02:55:36.69 ID:B1J/FUhf
「果林ちゃん、彼方ちゃんもね…」

「???」

突然の彼方ちゃんの奇行に、何がなんだかわからない、って顔をする果林ちゃん。
肩を掴む。びくり、と反応が返ってくる。

「私もね、果林ちゃんが『特別』を考えさせてくれて、良かった。さっきの言葉、本当に嬉しかった」

「あ、ありがと。でも彼方…」

さっきからの行動は何、と顔に書いてあるけど、スルーさせていただく。

「それでね。もうひとつだけ、もうひとつだけ用意してるの。バレンタインのプレゼント」

「えっと…さっきから持ってるそれのこと、よね」

「うん。でもね、これは普通の生チョコなの。彼方ちゃんが気持ちを込めて作ったけど、凝ったことなんて何もしてない、ただの生チョコ」

右手を肩から離し、生チョコを持つ手を果林ちゃんの前に持ってくる。

「ただの生チョコを普通に渡したんじゃ、果林ちゃんの望んだ『特別』にはならないから。だから」

あーん、して?

59: 2020/02/19(水) 02:57:26.72 ID:B1J/FUhf
「えっと、じゃあ…渡し方で『特別』にグレードアップするってことかしら」

こくり。

「彼方に食べさせてもらうのは…いつだかのクレープ以来? なんだか懐かしくて恥ずかしいわ」

そう言って、緩く口を開き、目を瞑って待つ。
ぞくりと、した。

「もし、もし果林ちゃんが嫌だったら、逃げていいからね」

そう言って、私が生チョコを口に放り込むのと、疑問に思ったのか、果林ちゃんが目を開けてこっちを見たのが同時。
肩に置いていた手を首の後ろまで持っていき、抱きつくみたいにしてぐいと近づくのと、目をうろうろさせながら、え、とかあ、とか言うのも同時で。
そして。
唇が触れ合ってゼロ距離。お互いがお互いの心臓の音を認識したのも、同時だと、思う。
さらに近づき、目を閉じて、舌の上の生チョコをゆっくり突き出す。
熱いものに、ちょんと触れた。
一回、びっくりしたように引っ込んだ熱いソレは、そのあと、しっかり生チョコを絡めとっていった。

60: 2020/02/19(水) 02:58:45.34 ID:B1J/FUhf
「はっ、は…!」

荒い息をしながら、離れる。
口の端からはよだれが垂れるし、いつの間にか泣いてしまっていた。
ああ、恥ずかしい。死んじゃいそうだ。でも、まだ。
ちゃんと言わなきゃ、死ねないや。

「朝香…ぐす、果林さんっ」

ぐちゃぐちゃでも、精一杯、笑って。

「彼方ちゃ、私、を…あなたの特別にしてください…」

お願い。

61: 2020/02/19(水) 03:00:10.03 ID:B1J/FUhf
「…とりあえず、落ち着きましょうか」

生チョコを飲み込んだらしい果林ちゃんが、そう言って抱き締めてくれた。
彼方ちゃんの好きな、あの優しい手つきで頭を撫でてくれて、時間はかかったけど、泣き止めた。
その体勢のまま、話しかけられる。

「返事をする前に、なんだけど。彼方、今口の中どうなってる?」

「…え? くち?」

「あのマフィンとクッキー食べて、それなりに喋って、泣いて。口の中苦いままでしょ。…甘いものが、欲しいんじゃない?」

「…欲しい」

そう、と笑うと、果林ちゃんはすっと離れて、言った。

「もし、もし彼方が嫌だったら…それでも、逃がさないわ」

62: 2020/02/19(水) 03:01:43.69 ID:B1J/FUhf
彼方ちゃんがえ、と顔を上げるのと、果林ちゃんがマグカップを傾けるのが同時。
さっきのことがフラッシュバックするのと、接近した果林ちゃんにくいっと顎を持ち上げられるのが同時で。
そして。
生暖かい、甘い甘いチョコレートが口から口へ流れ込んでくるのと、収まっていたはずの涙がこぼれたのも、同時だと思う。
お互いの顔も服も、チョコや涙やいろいろで汚しに汚しながら。
果林ちゃんからの『特別』を受け取った。

「ぷ、は…。ねえ…返事、させて」

こくんと頷いて、少し離れた果林ちゃんを見つめる。

「私も、彼方の特別になりたい」

「…うんっ」

63: 2020/02/19(水) 03:03:17.09 ID:B1J/FUhf
時は2月の15日、朝。場所は寮、果林ちゃんのお部屋。
…の、ベッドの上。特別なひとの、こいびとの、お隣。

「すー…すー…」

色んな気持ちがあふれそうになるのをぐっと抑えて、ぎゅうと抱きつき、ぐりぐりと頭を押し付ける。
頭の上から少し苦しそうな声が聞こえたけど、流します。彼方ちゃんのほうが、今までずっとしんどかったので。

「ふゎ…」

あのあと、遅くまで片付けに掃除に色々やったからかな、やっぱりまだ眠い。思わずあくびが漏れてしまう。
ため息じゃないけど、胸の奥の幸せがこぼれてしまう気がして。取り戻そうと深呼吸しようとしたそのとき、ふと気がついた。
いつものシャンプーと違う、自分の髪の感じ。柔軟剤の違う服とお布団。アロマの残り香。チョコやお砂糖の甘いフレーバー。そしてもちろん、果林ちゃんの匂い。
…二度寝しちゃおう。

「ねえ、果林ちゃん」

早起きが苦手なのを承知で、お願いです。
いつもみたいに、いつも以上に、優しく優しく起こしてね。…できれば。
たくさんの特別が、朝に香っているうちに。

64: 2020/02/19(水) 03:03:51.59 ID:B1J/FUhf
彼方「朝に香る」
おしまい

 

67: 2020/02/19(水) 03:07:58.89 ID:B1J/FUhf
お待たせした、読んで貰って本当にありがとうございます
乙、感想、意見、質問。何でも大いに歓迎します。レスくれ
ただ抽出で読む人もいるだろうし、余韻も楽しんで欲しいので、返事はID変わってからにします
重ねてありがとう。おやすみなさい

66: 2020/02/19(水) 03:07:39.71 ID:7625x0QK
素晴らしい!
ありがとうございました!!

65: 2020/02/19(水) 03:07:29.50 ID:U5CdXDZ6
おつ!素敵だったわ

69: 2020/02/19(水) 03:21:56.04 ID:UVMWz0ob
きれいな文で読みやすかった、ええぞ

70: 2020/02/19(水) 08:46:44.87 ID:WL2GmqQX
めっちゃ好きだわ
良質な彼方ちゃん果林さんSSをありがとう
愛を感じた

71: 2020/02/19(水) 08:56:17.63 ID:OZK1Kmkh
チョコみたいに甘いSSであった
超良かった、乙

72: 2020/02/19(水) 09:37:03.09 ID:hdjhpysg
おつおつ
素晴らしいお話をありがとう…

73: 2020/02/19(水) 10:36:31.73 ID:T5pLJ3ig
彼方視点の地の文が文量に反して読みやすく、台詞部分との使い分けも良かったです
味の描写が丁寧だったのでお腹が空いてしまいました
濃厚な絡みの中に程良く他のキャラの顔が覗いていたのも面白かったです
お疲れ様でした

74: 2020/02/19(水) 11:08:43.31 ID:hC+8GjU4
胸焼けしそうな甘さだぁ…

75: 2020/02/19(水) 11:27:30.44 ID:s7UZSiLB
甘い!甘すぎる!だがそれがいい!最高!

76: 2020/02/19(水) 15:43:51.33 ID:LoqiC1Q9
幸せな気持ちになれるSSだった
彼方ちゃん良いね

77: 2020/02/19(水) 16:42:08.22 ID:ME95N0ew
甘くて美味しい気持ちになりました

78: 2020/02/19(水) 19:53:12.47 ID:qF8+Z9JL
最高だった
ありがとう

79: 2020/02/19(水) 19:58:13.74 ID:UqfDSALs
彼方ちゃんが私って言い換えるところがめちゃくちゃ好き…

80: 2020/02/19(水) 20:57:16.62 ID:+MgZlNb3

初心な雰囲気に対してクライマックスはちょっと大人でエ チック感があっていいですわね

81: 2020/02/19(水) 23:35:10.86 ID:7625x0QK
彼方ちゃんの細かな心情や想いが読んでて伝わってきたし、果林ちゃんにチョコを渡すドキドキ感が素晴らしかった!
彼方ちゃんが果林ちゃんへ、想いを伝えるときは、自分のことを『私』というのもいいなぁと思いました。
とても甘々なSSありがとうございました!
次回作など書く予定がございましたら、期待してます

82: 2020/02/20(木) 02:40:41.40 ID:sIchn+JH
いっぱいレスあって嬉しい。3つ返事を

・読みやすい
彼方の柔らかい口調にこだわって推敲してた甲斐があります。報われた気分

・「彼方ちゃん」「私」
告白シーンに限らず彼方の余裕にあわせてちょこちょこ変化させたはずなので、良かったら見返してみて欲しいです

・次に書くもの
いま考えてるのは『果林のマッサージがやらしいけど癒されると同好会内で噂になる話』と『彼方が曲のイメージ作りのために1日お姫様になる話』です。アイデア募集中

たくさん反応ありがとう。好評をいただけて本当に嬉しいです
ではまた別のスレで

84: 2020/02/20(木) 09:32:58.94 ID:8uV5+9XQ
お姫様になる話も面白そう
楽しみにしてます

引用元: https://nozomi.2ch.sc/test/read.cgi/lovelive/1581955983/

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