【SS】遥「迷い蝶」【ラブライブ!虹ヶ咲】

はるか SS


1: (とばーがー) 2022/06/10(金) 18:14:09.66 ID:4tkRF24K
「次、近江さんお願いします」

遥「…………」

「近江さん?」

遥「……近江遥です。よろしくお願いします。」

「……え、それだけ?」

遥「はい、すみません」

「……そうですか。……じゃあ次の……」

この教室にいる人間は、教壇に立つ先生以外は皆、えんじ色の陽気な制服を着ている。
その中で私ひとりが、制服と不似合いに、登校初日とは思えない程に暗い顔をしていた。
 
2: (とばーがー) 2022/06/10(金) 18:15:34.50 ID:4tkRF24K
せっかく姉と同じ学校に入ったというのに、気分はずっと淀んでいる。
こんなはずではなかった。いや、こうなってほしくはなかった。

遥『お姉ちゃん!東雲受かったよ!』

彼方『さっすが遥ちゃん~頑張ったねぇ~』

遥『4月から一緒に通おうねっ!絶対だよっ!』

彼方『もちろん!彼方ちゃん、今から楽しみで元気が湧いてきたよ~』

つい数か月前、気丈に語っていたお姉ちゃんは、そのままベッドを降りることなく息を引き取った。
 
3: (とばーがー) 2022/06/10(金) 18:17:27.92 ID:4tkRF24K
「……好きな物はいちごです。皆さんどうぞよろしくお願いします」

後ろの座席の人は、私と違ってまともな自己紹介をしていたらしい。
呆けて名前すら聞いていなかったけれど、聞いていてもおそらく、憂鬱な私の頭は素通りしていくだろう。
きっとそれでも困らない。楽しみだったはずの高校生活も、もはや楽しくはならないのだから。
もともと私の席順が後ろの方だったこともあって、そんなことを考えているうちに自己紹介の時間は終わっていた。

「明日は写真撮影と身体測定です。ジャージを忘れないようにしてくださいね。それでは、さようなら」
 
4: (とばーがー) 2022/06/10(金) 18:18:29.01 ID:4tkRF24K
仲良く話す相手がいるわけもないので、買い物を済ませて帰ろうと荷物をまとめる。
鞄を肩にかけて横を向いたとき、後席の生徒が何か言いたげな表情でこちらを見つめていたのが視界の端に入った。

遥「えっと……」

私に気づかれたとみるとすぐに顔を下に背けられてしまった。とっさの動きに揺れた長い黒髪は、大きめのリボンのポニーテール。私も前はツインテールにしていたけど、今はわざわざセットする気になれず、そのまま下ろしている。

遥「……いえ、さようなら」

声を出してはみたものの、なんと続ければいいのか分からず気まずい。結局そのまま教室を逃げ出してしまった。
 
5: (とばーがー) 2022/06/10(金) 18:20:29.58 ID:4tkRF24K
帰宅途中にいつも買い物に使っているスーパーに寄る。学校からの道すがらに濡れた髪を軽く拭きながら、店内に入る。髪をまとめていればまだ不快さも減っていただろうか。
スーパーの定石のように入口近くに並べられている生鮮食品を無視して中の方へ進む。家事の中で唯一、料理が壊滅的な腕前の私は、お姉ちゃんと違って素通りせざるを得ない。
カゴに詰め込まれるのは、パンと、冷凍食品と、インスタント食品と、今日食べるための出来合いのお惣菜。

遥「おいしくないわけじゃないけど……」

それらが味気ないのは、手作りでないからなのか、お姉ちゃんの料理でないからなのか、それともお姉ちゃんがそこにいないからなのか。
 
7: (とばーがー) 2022/06/10(金) 18:22:07.37 ID:4tkRF24K
レジを打つ店員の顔をちらと見る。接客業の従業員らしくメリハリのある声と表情。当たり前だけれど、そこに過労の色など見えはしない。
お姉ちゃんがここで働いていたときは、お姉ちゃんにレジをしてもらえるのが嬉しくて、わざわざ列を選んで並んでいた。いつも眠そうなその店員さんは、列に私を見つけるとものすごい速さで客を捌いていったので、私が客の空いた他のレジに呼ばれるなんてこともなかった。

「ありがとうございましたー」

店を出て、相変わらず降っている雨を疎ましく睨んで、北へ歩き出す。
反対側の歩道に、じめっとした空気の中、それでも楽しそうに会話して歩いている親子連れを見つける。
それを妬ましく思ってしまった自分に気づいて、振り払うように足を早める。
 
9: (とばーがー) 2022/06/10(金) 18:24:33.93 ID:4tkRF24K
遥「あっ!」

水に覆われた地面を捉え損ねて、逆に全身が地面に投げ出される。
状況を理解して、仕方なく身体を少し起こして、ため息が出る。

遥「はあ…………」

普段触れることのないアスファルトに触れて覚える脱力感には、さっさと立ち上がろうという気にもなれない。
立ち上がって、散らばった荷物をまとめて、また傘を差して歩いて行く一連の過程がとてもおっくうで、既に歩行者用信号の出す青色の音が耳に届いていた。


それが、結果的には良かったのかも知れない。
 
10: (とばーがー) 2022/06/10(金) 18:25:54.12 ID:4tkRF24K
身体を打ち付けた痛みを堪えてようやく立ち上がったところで、やけに大きなブレーキ音が耳をつんざく。
不快に思いながらも、雨だからだろうかなどとのんきなことを考えていた頭を非難するように、鈍い響きがこだまする。

若干の静寂の後に再び聞こえてきた甲高い音は、車ではなく人の叫び声だった。視線を上げれば、皆一様に同じ場所を見ている。
私がもうすぐ辿り着こうとしていた横断歩道には、1台の停まった車と、倒れたまま動かない女性。そして、その傍らで茫然としている少女。

救急車、と誰かが叫ぶ。その声で堰を切ったように、少女が泣き出す。
 
11: (とばーがー) 2022/06/10(金) 18:26:56.24 ID:4tkRF24K
いまや無防備にへたり込む少女に向かって、私は思わず駆け出していた。
彼女の視界を奪うために。この残酷で救いようのない光景を、これ以上その目に焼き付かせないために。

道にしゃがみ込み、雨に打たれながら、少女の思考を現状から奪うように、ただその頭を抱え込む。

かつての私がそうだったように、当たり前に、彼女が泣き止むことはない。

傍らでは誰かが応急処置をしているようだけれど、そちらに目をやることはない。私が動けば、彼女の意識もそちらに持って行かれそうだから。

遥「大丈夫っ……!大丈夫だよ……!」

私には、そんな無責任でありきたりな言葉しかかけられなかった。
 
12: (とばーがー) 2022/06/10(金) 18:28:19.59 ID:4tkRF24K
数時間前に使い始めたばかりのえんじ色の制服が、雨と涙で余すところなく暗い色に染め上げられたころ、一切弱まることのない泣き声に呼ばれたかのように、救急車がやって来た。
救急隊員は倒れた女性の状況を確認し、救急車に載せる。
心肺停止という単語が聞こえて、思わず身体が強ばる。

救急隊員がこちらに向かって声をかけてくる。少女を離す不安を払い、立ち上がって応える。

「ご家族の方でしょうか」

遥「……いえ、私は通りがかりで……この子が」

何とか声を絞り出す。さっきまでの間に酷使していた私の喉は痛みを生んでいて、思わず顔が歪む。

「……です」

それで、彼女がなんと言ったのか聞き逃してしまった。彼女とのやりとりを終えた隊員は、私にも救急車に同乗して欲しいという。

遥「え?……私、ですか……?」

側を見れば、私の服をか弱く、震えながら、けれど必死に掴む少女の姿があった。
 
13: (とばーがー) 2022/06/10(金) 18:29:28.59 ID:4tkRF24K
病院に着き、女性が医師の下へ運ばれる。私たちは処置室の外で待つように言われた。

今は見ず知らずの私しか付き添っていないけれど、親族は来るのだろうか。何か声をかけた方がよいのだろうか。このようなとき、一体どうやって接すればよいのだろうか。心の声が聞こえたらいいのに、と月並みなことを思う。

何も思い浮かばないので、せめて抱き寄せることにした。理由はないけれど、私がそうしたいと思ったから。
自分の服がびしょ濡れな事を思い出して一瞬躊躇したものの、雨に包まれていたのは彼女も同じだった。
手を伸ばすと、彼女の濡れた服が冷え切ったのを感じる。彼女にしてみれば私の制服もきっとそうだろう。せめて私の服で暖められればよかったのに。それくらいのことをしてあげられてもいいではないか。

彼女も私に身体を預けてくれる。すすり泣く声と震える身体はあまりにも痛ましい。
普段なら艶めいているであろう長い茶髪は、じっとりと濡れて黒に染まっていた。
服を更に濡らすのも忍びなく、手が冷えるのを承知で髪と服の間に腕を差し込む。
背格好の割に大人びた雰囲気をまとっていても、触れて伝わる身体の華奢さこそが年相応なのだろう。

分かったのは、そんな当たり前のことだ。
 
14: (とばーがー) 2022/06/10(金) 18:30:08.94 ID:4tkRF24K
しばらくして少女が少し落ち着きを取り戻す。その背中に私の腕を押し返す力を感じて、腕を緩める。
彼女は私の腕の中でそのまま上を向いて、そこで私たちは初めて言葉を交わした。

「ありがとう」

遥「いいんだよ。……私はここにいるからね」

「……うん」

遥「苦しかった?」

「ううん、大丈夫。……お姉さんは?」

遥「私……?」

思わず言葉に詰まる。こんなに幼いのに、こんな状況にいるのに、ともすれば不審者の私の心配をするなんて。

遥「私は大丈夫だよ」

「よかった……お姉さん、なんていうの?」

遥「近江遥だよ」

「はるかさん……。わたしは」
 
15: (とばーがー) 2022/06/10(金) 18:30:44.82 ID:4tkRF24K
すみません、4時間ぐらい中断します
 
26: (とばーがー) 2022/06/10(金) 22:21:04.45 ID:4tkRF24K
保守ありがとうございます
23時前後から再開します

ベースはスクフェス時空ですが、「少女」の年齢など明らかに異なるものもあります
また、知らなくても読めますが、この物語の開始は2021年4月7日水曜日です
 
28: (とばーがー) 2022/06/10(金) 22:57:54.68 ID:4tkRF24K
再開します

ところで、書き溜めを投下する場合どれくらいの間隔で書き込むと読みやすいのか教えてください
 
29: (とばーがー) 2022/06/10(金) 22:58:06.04 ID:4tkRF24K
「ご親族の方でしょうか」

突然頭上から降ってきた言葉に、反射的に少女の顔から目を離す。
見上げれば、目の前にいつのまにか白衣の女性が立っていた。

遥「いえ、私ではなく……この子が」

「……そう、ですか……」

遥「……っ」

そんな、重くて、苦々しい表情を見せないでほしい。後に続く言葉が予想できてしまうから。思わず彼女を抱える腕に力が入る。
それに呼応するように、一旦は緩んだ彼女の身体が再び怯えたように強ばってしまう。
私は変わらずここにいると伝えたくてか、あるいは私がこの場に耐えるためか、なぜ私がこうも必死なのか、私にももう分からなかった。
 
30: (とばーがー) 2022/06/10(金) 23:01:06.50 ID:4tkRF24K
看護師がやって来て別室へと案内される。私は、彼女の親族が到着するまで引き続き付き添って居て欲しいと言われた。
もちろん、今の彼女の様子を見て、無情にも立ち去るなどいう選択は出来るはずがない。
しかし、そうでなくともここにいたいと思うのは……気の迷いだろうか。

見ず知らずのはずの二人で取り残される。
病院らしく真っ白で無機質な、何もない部屋。意識は自然と、喪失の中の少女に向く。
小学校高学年といったところだろうか。長い茶髪を少し取って後ろでまとめている赤いリボンは見るからに高級そうな材質だ。今は雨を被ってしおれてしまっているけど、本来はどこへでも飛んで行けそうな、ピンとした蝶が止まっているのが目に浮かぶ。
そのイメージに何かの既視感を覚えたけど、新たに浮かんだ疑問にかき消されてしまった。
先ほど彼女の名前を聞けなかったのだった。事故現場で聞き逃したのもそうだったのだろうか。
 
31: (とばーがー) 2022/06/10(金) 23:03:10.67 ID:4tkRF24K
遥「えっと……」

「お姉さん……」

か細く、儚く紡ぎ出される声が私の心を締め付ける。

遥「無理に話さなくていいんだよ」

「ううん……そうしてた方が……いい」

遥「そっか……えっと、改めて、私は近江遥だよ」

「私は……桜坂しずく」

遥「しずくちゃんっていうんだね。何歳?」

しずく「10歳。4年生」
 
32: (とばーがー) 2022/06/10(金) 23:06:02.09 ID:4tkRF24K
遥「4年生なんだ。しずくちゃん、大人っぽいね。私よりしっかりしてそう」

しずく「……もっと子どもらしくしたほうがいい?」

遥「……?そのままでいいんじゃない?」

しずく「……ほんと?ほんとにほんと?」

遥「うん。しずくちゃんがしたいようにするのがいいと思うよ」

しずく「ありがとう。……そういってくれたの、お姉さんが初めて……」

遥「え?そんなこと……」

しずく「お姉さんは?高校生?」

遥「……うん、そうだよ。今日からだけどね」

果たして自分を高校生と称していいのか迷って、あいにくと新品だったはずの、見た目だけは誰よりも新しくなくなってしまった制服を見ながら答える。
 
35: (とばーがー) 2022/06/10(金) 23:11:24.09 ID:4tkRF24K
しずく「今日から?」

遥「うん、入学式だったんだ。しずくちゃんはまだ学校ないの?」

しずく「……うん、まだだよ」

遥「あれ、そうなの?今日小学生の子たちが歩いてるの見たけど……」

しずく「私、東京じゃなくて、鎌倉だから」

遥「そうなんだ……。……え、鎌倉?」

しずく「うん、鎌倉に住んでるの」

遥「そうだったんだ……。鎌倉ってどんなところ?私行ったことないんだ」

しずく「おだやかで、海が綺麗だよ」

埋め立て地の人ごみで、海だってお世辞にも綺麗とはいえないお台場や東雲とは真反対かもしれない。

遥「へえ、いいところなんだね」

しずく「私は好きじゃないけど……」
 
37: (とばーがー) 2022/06/10(金) 23:16:57.54 ID:4tkRF24K
遥「どうして?」

しずく「……誰も私のこと分かってくれないから」

遥「分かってくれない?」

しずく「……ね、お姉さんは?どこに住んでるの?」

遥「私?この辺だよ」

しずく「そうなんだ。いいな……」

遥「……そうかな」

しずく「私は好きだよ。だって、ここはみんなを受け入れてくれる場所でしょ?」

遥「それは、そうかもしれないけど」
 
38: (とばーがー) 2022/06/10(金) 23:20:22.93 ID:4tkRF24K
しずく「お姉さんは普段どんなことしてるの?」

遥「普段……何してるかな……」

正直に言うと、家事や勉強を除けば、お姉ちゃんのベッドに潜り込んでうとうとするとか、そんなことしかない。

遥「……ごろごろすることかな」

しずく「そうなの?意外……」

遥「しずくちゃんは?どんなことしてるの?」

しずく「おままごととか、演劇見るとか……」

遥「おままごとと……演劇?」

しずく「……ダメ?」

遥「ダメじゃないよ。珍しい組み合わせだとは思うけど」

しずく「そっか。……よかった」

遥「?」
 
39: (とばーがー) 2022/06/10(金) 23:23:14.58 ID:4tkRF24K
しずく「お姉さん、かっこいいね」

遥「え?かっこいい?」

そんな言葉は初めて言われた。お姉ちゃんはいつも私をかわいいと言ってくれたし、むしろかっこいいのはお姉ちゃんの方だ。

遥「そうかな?」

しずく「うん、大人って感じだよ」

遥「ええ?私、よく子どもっぽい髪型って言われるのに……」

しずく「……?……髪、下ろしてるのに?」

遥「……っ!」

……言われて初めて気がついた。ツインテールにしていない今の私は、長さは違うけど、お姉ちゃんと同じ髪型なんだ。

遥「……うん、そうかも。ありがとう、しずくちゃん」
 
40: (とばーがー) 2022/06/10(金) 23:26:02.16 ID:4tkRF24K
しずく「私、お礼言われるようなこと言ってないよ?」

遥「ううん、いいんだよ」

しずく「わっ……。いきなりどうしたの?」

遥「私がしずくちゃんを抱きしめたいと思ったから」

しずく「そんなの理由になってないよ、お姉さん」

遥「ふふっ、そうだね」

しずく「……ねえお姉さん、いつまでいてくれる?」

遥「え?私は……しずくちゃんがいてほしいなら、いるよ」

しずく「……うん、ありがとう」
 
41: (とばーがー) 2022/06/10(金) 23:29:41.58 ID:4tkRF24K
そんな会話をしていると、ドアを叩く音が耳に入ってくる。病院らしいおだやかなそれは、それでもなぜだか耳に刺さった。

「失礼します。ご親族の方がお見えになりました」

急いでしずくちゃんを離す。さすがに見ず知らずの人間が小学生を抱きしめているところを目撃されるのは……。

しずく「あっ……」

しずくちゃんが少し残念そうな顔をする。この不安な状況で親族が来たというのに、何故だろう。

「しずくちゃん……。……?」

「……そちらの方は?」

遥「あっ……私は近江遥と申します。たまたま居合わせたもので、そのまましずくちゃんに付き添っていました」

「そうでしたか、どうもありがとうございます。私はしずくの叔母です」

遥「おばさまでしたか、このたびはご愁傷様です」

「恐れ入ります。お若いのにしっかりされておいでですね」

遥「いえ、恐縮です……」
 
42: (とばーがー) 2022/06/10(金) 23:31:53.16 ID:4tkRF24K
遥「それで、ええと……私は」

「このたびは本当にありがとうございました。もうお帰りいただいても」

しずく「待って!」

これまでで一番大きなしずくちゃんの声が響き渡る。
今度はそちらを見なくても分かる程強く服を引っぱられている。
どうしたというのだろうか。私に用はもうないはずなのに。

遥「しずくちゃん?どうしたの?」

しずく「お姉さん、まだここに……ううん、私と一緒にいて」

遥「それは……」

しずくちゃんがいてほしいというのなら、私はここに残っても構わない。
でも、いいのだろうか。今からはあまりにもプライベートな空間だ。
 
43: (とばーがー) 2022/06/10(金) 23:33:46.20 ID:4tkRF24K
「……申し訳ありませんが、しばらくしずくについていていただけないでしょうか」

遥「え!?……ええ、私は構いませんが」

しずく「ありがとう、お姉さん」

遥「どういたしまして」

そこからは、葬儀の日程や手配などについての話となった。小学生のしずくちゃんには右も左も分からないので、ほとんどおばさんが進めていたけれど。
私には関係のない話だけど、人が亡くなっているという背景上ただぼうっとしているのもどうかと思って時折頷く程度の反応を返した。

……いや、私には関係のない話のはずだった。
 
44: (とばーがー) 2022/06/10(金) 23:35:44.51 ID:4tkRF24K
しずく「お姉さんも来てね」

遥「うん…………」

遥「……え!?ちょっと待って、私!?」

生返事をしていたつもりはないのだけれど、勢いで頷いた言葉は、改めて考えれば異様なものだった。

「し、しずくちゃん!?」

しずく「?」

遥「しずくちゃん?えっと、私もいたほうがいいの?」

しずく「お姉さん、いてくれるって言ったよ」

確かに言った。つい数分前のことを忘れてはいない。

しずく「私、お姉さんに隣にいてほしい」

それは、私で本当にいいのだろうか。もっとふさわしい人はいないのだろうか。

遥「……私で、いいのかな」

しずく「お姉さんが、いいんだよ」
 
45: (とばーがー) 2022/06/10(金) 23:39:14.42 ID:4tkRF24K
そして、これから先しずくちゃんがどこで誰と暮らすのかという最も困難な話題が俎上に載せられる。
というのも、しずくちゃんのお母さんが亡くなったことで、しずくちゃんの身よりは目の前のおばさんだけになってしまったのだという。そのおばさんも生活環境的に養育は難しいらしい。

しずくちゃんは私よりも数年早く、私と同じ境遇に立たされてしまったのだ。

普通に考えれば児童養護施設だろうと思う。
私の場合はもうすぐ高校生という時期だったので、一人でもなんとか暮らしていくことが出来るだろうということで、本来は必ず付くものらしい後見人もついていない。私が生活に困らない程度には保険金も下りた。家族が亡くなってからの方が家計が楽になるなんて、残酷な皮肉だと思った。
けれど、いくら大人びていても小学4年生に同じ事が出来るとは到底思えない。出来たとしても、そんな生活をさせたくはない。

しずく「それは大丈夫だよ」
 
46: (とばーがー) 2022/06/10(金) 23:42:32.38 ID:4tkRF24K
遥「え?」

「え?」

しずく「私、お姉さんのところで暮らすから」

遥「」

……まともに言葉を表白するまで十数秒はかかった。

遥「ええっと……しずくちゃん?何を言ってるの?」

しずく「だって、私といてくれるって言ったでしょ?」

確かに言った。つい数分前のことを忘れてはいない。この言葉も二度目だ。
けど、一緒に暮らすなんて意味では決してない。
それに、いくらなんでも無茶がすぎる。なりたての高校生がひとりで小学生を育てるなんて。

「しずくちゃん!?何を言ってるの!?さすがにそんな……」

遥「……どうして、私なの?」
 
47: (とばーがー) 2022/06/10(金) 23:44:03.05 ID:4tkRF24K
しずく「お姉さんは私のこと、否定しないもん」

しずく「私、この場所で、お姉さんと生きていきたい」

しずく「……ダメ、かな」

そんな縋り付くような表情をしないでほしい。
本当に、受け入れてしまいそうになるから。
私だって、もしそんなことが出来るなら……。

「………………」

遥「しずくちゃん、さすがにそれは……」

「……あの……」

遥「はい?」

「こんなことを言うのは心苦しいのですが……」

「しずくのことを、お願いできないでしょうかっ……」

遥「……は」

大人までそんなことを言い始めてしまった。
 
48: (とばーがー) 2022/06/10(金) 23:44:41.41 ID:4tkRF24K
「お願いしますっ!どうかお願いしますっ!!」

遥「あ、あの!ちょっと落ち着いてください!」

「頼れるのは近江さんしかいないんですっ!」

遥「分かりました!分かりましたから!」

遥「さすがにすぐに結論は出せないですけど、考えてみますからっ!!」

……そうしてなんとか宥めて、今日のところは帰ることになった。
 
50: (とばーがー) 2022/06/10(金) 23:46:31.27 ID:4tkRF24K
あまりにも衝撃的な事が連続して起こって感覚を無くしていたけれど、今はまだ夕方だ。事故が起こったのが昼過ぎで、まだ数時間しか経っていない。

病院からの帰り道には、さっきの事故現場がある。
スーパーの北側の道の、事故が起こったのとは反対側の歩道を歩く。道の向こう側だけでなく、こちらにも報道関連の人間が数人いて、取材をしているようだった。
テレビを通してはよく見る光景だ。けれど、まさかこうやって当事者として見ることになるなんて思ってもいなかった。当事者と呼べるのかは置いといて。

家に着いた瞬間、忘れていた疲れを一気に思い出してへたり込む。
そのまま廊下で眠ってしまいたいくらいだったけど、そうしたら朝まで目覚めないだろうと諭す理性に歩かされた。
向かい側に誰もいないキッチンを見なくて済むよう、いつしか使わなくなったダイニングテーブルを避けて、ソファならば最悪寝落ちしても構わないかと腰掛ける。音のない部屋が落ち着かなくて、テレビを付ける。

遥「……しずくちゃんと……か」
 
51: (とばーがー) 2022/06/10(金) 23:47:53.11 ID:4tkRF24K
『次です。今日昼過ぎ、江東区東雲一丁目の路上で横断中の歩行者を車が撥ねる事故が……』

遥「あっ……」

今日の事故のニュースだ。さっきあれほど報道陣がいたのだから、こうしてニュースになっっているのは自然な話だ。

『警視庁湾岸署は車を運転していた女から事情を聞いていて、「気を取られていて横断者に気づかなかった」と容疑を認めているということです』

遥「そっか……そうだよね」

車の運転手のことは考えていなかったけど、これからしずくちゃんたちはこちらの問題とも向き合っていかないといけないのだ。
しずくちゃんが落ち着いて元の生活に戻れる日は……いや、元の生活になんて、戻れないよね……。
気を取られていた、なんて、車を運転する人がそんな意識で……。

遥「…………っ!!!」
 
52: (とばーがー) 2022/06/10(金) 23:49:20.24 ID:4tkRF24K
そろそろ寝ようかというころ、スマホの振動に注意を奪われる。しずくちゃんだった。

遥「……しずくちゃん。どうしたの?」

しずく『えっと、色々一段落して、やっと休めてるんだ。……でも、そしたら何か不安になってきて……』

遥「そうだよね。……不安だよね。お疲れさま、しずくちゃん」

しずく『ありがとう』

遥「どういたしまして」

しずく『…………』

遥「しずくちゃん?」

しばらく黙り込んでしまったしずくちゃんだったけど、意を決したように、口を開いてくれた。

しずく『……ねえ、お姉さん。私と暮らすの、いや?』

遥「……そうだね」
 
53: (とばーがー) 2022/06/10(金) 23:51:26.91 ID:4tkRF24K
しずく『……ごめんなさい。お姉さんが嫌がってるなんて、思わなくて』

遥「……えっと、そうじゃないんだ。しずくちゃんのことが嫌いなんじゃないよ」

しずく『じゃあ、なんで?』

遥「私と暮らしてても、幸せにはなれないよ。……だからしずくちゃんとは暮らしたくない」

しずく『……どうして?』

遥「…………」

しずく『聞かせて、お願い』

遥「……私、一人暮らしなんだ。私のお母さんとお姉ちゃん、ふたりとも死んじゃったの。お母さんは病気で、お姉ちゃんは過労で」

しずく『そんな……でも、お姉さんは生きてるよ』

遥「しずくちゃん、今日の事故の……ニュースみた?」

しずく『……ううん、みてない』
 
54: (とばーがー) 2022/06/10(金) 23:54:16.23 ID:4tkRF24K
遥「車を運転してた人、気を取られてて、しずくちゃんのお母さんに気づかなかったって」

しずく『……うん』

遥「あのときね、私、しずくちゃんたちのこと見かけたの」

遥「それで、楽しそうに話してて、羨ましいなって」

遥「……妬ましいなって、思っちゃった」

しずく『……』

遥「それで、そんなこと考えたのが嫌になって、振り払おうと思って、走って」

遥「……それで、転んだの。……そこで信号が青になって、そうしたら……」

しずく『お姉さん、待って』

遥「気を取られてたって、私のことなんだよ!」

遥「私のせいなんだよ!!しずくちゃんのお母さんが死んじゃったのも!!」

しずく『待って!』
 
55: (とばーがー) 2022/06/10(金) 23:55:48.60 ID:4tkRF24K
遥「ダメなんだよっ!私と一緒にいたらしずくちゃんまで不幸になる!」

しずく『そんなことないっ!』

遥「あるよっ!!」

しずく『だったらそれでもいい!』

遥「いいわけないでしょ!?」

しずく『いいんだよ……それでも』

遥「……どうして?」

しずく『私、本当は今日、始業式だった』

遥「え?まだ学校は始まってないって」

しずく『ごめんね、嘘ついた』
 
56: (とばーがー) 2022/06/10(金) 23:57:08.07 ID:4tkRF24K
しずく『……私、どうしても学校に馴染めないの。周りの同級生も私のこと変だって言うし、私と遊ぶのはむずかしいからやだって言う』

しずく『……先生まで、もっと子どもらしくしたらって言ってきた。変な子、って感じの目で見てきた』

遥「うん」

しずく『これが私なのに……誰も分かってくれなかった』

しずく『春休みは楽しかった。嫌な人はまわりにいなくて、自分の好きなことをちゃんと好きって言えた』

しずく『でも学校にいる人は学年が変わっても変わらないから……』

しずく『それで、学校に行きたくなくて、お母さんが気分転換にお出かけに連れてってくれたの』

しずく『それで……』

遥「でも、それはしずくちゃんのせいじゃないよ」

しずく『だったらお姉さんのせいでもないよ』

遥「……」
 
57: (とばーがー) 2022/06/10(金) 23:59:26.89 ID:4tkRF24K
しずく『お母さんは私に優しくしてくれたけど、もういない……』

しずく『そしたら、お姉さんが来てくれた。……そのままでいいって、したいようにすればいいって、お姉さんが初めて言ってくれた』

しずく『だから、お姉さん、私と……』

しずく『……』

遥「しずくちゃん?」

遥「……寝ちゃった……?」

今日一日、あれだけのことがあったのだから、仕方ないのだと思う。時計を見れば、とっくに日付が変わっていた。
ほとんど気絶のようなものかもしれないけど……。

遥「……おやすみ、しずくちゃん」
 
58: (とばーがー) 2022/06/11(土) 00:02:41.27 ID:5FXAO7ko
遥「……」

遥「……ああ、やっちゃった……」

目の前のテレビが、朝焼けに照らされている。
ベッドではなくソファで寝てしまったことで、身体はあちこちで痛みを生んでいるし制服はシワだらけだ。

遥「……制服っ!?」

そうだった、昨日家に帰ってきてから着替えることもしていなかったのだ。

遥「今日って写真撮影だよねっ!?」

遥「アイロンどこだっけ!?」

遥「っていうかお風呂入ってない!」

遥「ああもうっ!!」
 
59: (とばーがー) 2022/06/11(土) 00:04:38.22 ID:5FXAO7ko
ミナーサンオハヨウゴザイマス♪

遥「こんなときに誰っ!?」

遥「……しずくちゃん?」

遥「もしもし?どうしたの?」

しずく『……あ、おはようお姉さん。朝からごめんね』

しずく『昨日あのまま寝ちゃったから、謝りたくて』

本当にいい子だ。むしろ謝るのは私の方だと思うぐらいなのに。しずくちゃんの声にはまだ眠気が混ざっている。

遥「なんだ、そっか。大丈夫だよ。ちゃんと寝られた?疲れてない?」

しずく『疲れてない……ことはないかな』

遥「しずくちゃん、無理するのは絶対にダメだよ。私そんなことしたら怒るからね」

しずく『……うん、分かった』
 
60: (とばーがー) 2022/06/11(土) 00:06:41.31 ID:5FXAO7ko
遥「私こそごめんね、昨日は。しずくちゃんは悪くないのにあんな風に怒っちゃって……」

しずく『ううん、大丈夫だよ。私だって変なこと頼んでるって分かってるもん』

遥「ありがとう……あの、そのことなんだけど、もうちょっと考えさせてもらっていい?」

現実的には問題が多すぎる。ただの、それもなりたての高校生には出来ないこと、分からないことの方が多い。

しずく『いいよ。考えてくれるってことは、私と住んでくれるかもしれないってことでしょ?』

遥「いや、まあ、それは……そうなんだけど」

しずく『お姉さんは今日学校?」

遥「うん、そうだよ。写真撮影と身体測定……だったかな」

しずく『そうなんだ。頑張ってね』

遥「ありがとう、しずくちゃんもね。また明日」
 
61: (とばーがー) 2022/06/11(土) 00:08:40.18 ID:5FXAO7ko
遥「すみませんっ!遅れましたっ!」

「遅刻ですよ……え、近江さん?」

遥「……?はい、近江遥ですけど」

「……ああ、いえ、何でもないです」

遅刻して入った教室は、不意にざわついていた。
いや、私が入っていった後でざわつきはじめたというべきか。
理由が分からないまま、クラスメイトの不審な視線を集めながら、席に着く。後ろの席の人は昨日のように下を向いていて、更に顔を手で隠しているけど、可笑しそうにポニーテールが揺れているのが見て取れる。

遥「……なんなの……?」
 
62: (とばーがー) 2022/06/11(土) 00:10:13.38 ID:5FXAO7ko
「それでは、撮影場所に行きますので、付いてきて下さい」

先生の言葉に、各々席を立って教室の外に出る。
どうやら既にいくつかのグループが出来ているようだけど、そのどれもが私の方をちらと見ているのが分かる。
一体何だというのだろう。私が何かしたのだろうか。遅刻はしたけれど、それだけのはず。

「……あの、大丈夫ですか?」

遥「……っうぇえ!?……あ、すみません」

いつの間にか私の目の前に、顔があった。驚きで突拍子もない声を出してしまう。

「みなさんもう先の方にいますよ」

指さす方向を見やると、クラスメイトは既にかなり先の方を歩いていた。どうやら気を遣って声をかけてくれたらしい。
初めて見た顔で、初めて聞いた声だ。私より高い頭の向こうにわずかに見えるリボンからするに、私の後ろの席の人らしい。昨日私が自己紹介を聞いていなくて名前を知らない人だ。色々としずくちゃんに共通するところがある。

「行きましょう?近江さん」

向こうは私の名前を記憶してくれているらしい。釣り合わない関係に罪悪感を覚えて、何とか名前を思い出そうとする。
私の名字が近江なのだからせいぜいサ行から始まる名字のはず……。
 
63: (とばーがー) 2022/06/11(土) 00:12:27.08 ID:5FXAO7ko
「……あの、本当に大丈夫ですか?具合が悪ければ保健室に……」

遥「いえ、大丈夫です。本当に」

「そうですか、それでは行きましょう?」

遥「はい」

かなり離れてしまったクラスメイトに追いつくように、私たちは歩き出す。

……そうだ、名字など関係なかった。
この学校は席順を誕生日順で決めるのだ。私の誕生日は11月11日だけど、それよりも後に生まれた、なんて情報だけで名前を推測できる訳がない。

「時に、近江さんは何を考えていたのですか?」

遥「え?ええっと……」

遥「私、何かみんなに見られてますよね?どうしてかなー……と」
 
64: (とばーがー) 2022/06/11(土) 00:14:27.46 ID:5FXAO7ko
「……」

しばらくしても反応が返ってこないので、横を向く。
すると、いかにもお嬢さまといった雰囲気の隣人は、その容貌には似つかわしくない呆けた顔をしていた。
何か変なことを言っただろうか。そんなつもりはないのに。

遥「……どうされました?」

「……あの、それ、本気で言っているのですか?」

遥「はい?」

やはり変な発言をしたらしい。けど、全く心当たりがない。

遥「本気か本気じゃないかと言われれば……本気でしょうか」

「……そうですか」

「近江さん、もしかして二重人格だったりします?」

遥「は?」
 
65: (とばーがー) 2022/06/11(土) 00:16:19.21 ID:5FXAO7ko
「すみません、言葉を変えます。昨日の記憶はありますか?」

遥「ありますけど……?」

昨日はあれだけのことがあったのだ、記憶を無くすなんて考えられない。

「昨日の……学校での、記憶は、ありますか?」

遥「ありますけど……?」

なんなら目の前のこの人の記憶が一番多いくらいだ。それでも名前は知らないけど。

「……はあ……」

遥「なんなんですか?」

「昨日、近江さんがどんな様子だったか、よく思い出してみて下さい」
 
66: (とばーがー) 2022/06/11(土) 00:18:11.83 ID:5FXAO7ko
昨日の私……。

遥「……昨日の私、どんなでしたか?」

「この世の全てに絶望したような表情でした」

遥「そんなに酷かったですか!?」

「はい。それに対して今日は、なんというか……普通、です」

遥「はあ……」

「強いて言うなら、明るく活発で魅力的な方だなと、思います」

遥「そ、そうですか……」

いきなりそんなことを言われると思わず、面食らう……もとい若干引いてしまう。

遥「……え?」
 
67: (とばーがー) 2022/06/11(土) 00:20:35.64 ID:5FXAO7ko
遥「私が……明るく活発?」

「はい、わたくしはそう思いますよ」

遥「そう見える……んですね」

「おかしいでしょうか?」

遥「いえ、そんなことは」

……自分では全く気づいていなかった。
お姉ちゃんがいなくなってから、ずっとあんな調子だったのに、今日はいきなり活発に……自分で言うのも変だけど、かつての私みたいになっていたなんて。

「近江さん!」

遥「うあっ!?」

「また考え込んでいましたよ」

遥「すみません……」

「何を悩んでいるのかは分かりませんが、写真を撮るまで諸々のことは一旦忘れてはどうですか?そうしないと良い写真になってくれませんよ?」

遥「……ありがとうございます。そうします」
 
68: (とばーがー) 2022/06/11(土) 00:22:16.72 ID:5FXAO7ko
撮影場所には、この手の場面でお約束のようにみかける階段状の長椅子のようなものがすでに並んでいた。
私はこれがどうにも苦手だ。崩れないと分かってはいても、簡単にぐらつくので不安になる。これでもかというほど隣の生徒との間隔を詰めさせられるのも、居心地が悪くて好きではない。

台に乗ると、やはり足下が揺らぐ。同級生にまったく興味を持っていなかった私がここに並んでいていいのかと不安にもなる。

「近江さん!もうちょっと葉月さんの方に詰めてー!」

遥「葉月……」

「わたくしの方へ」

遥「……あ」

「どうやら、わたくしの名前を覚えてくれてはいなかったようですね」

そういってくつくつと笑う葉月さん。
こちらを向いて、バツ悪そうにしている私に改めて自己紹介をしてくれる。

「わたくしは葉月恋です。よろしくお願いしますね、近江遥さん」

それだけ言って前に向き直る葉月さんに、私も倣う。
いつの間にか揺れが止まっていたことに気づいた瞬間、シャッターが開く音がした。
 
69: (とばーがー) 2022/06/11(土) 00:24:07.84 ID:5FXAO7ko
写真撮影を終え、段から降りる。
改めて葉月さんと向き合い、挨拶をする。

遥「近江遥です。よろしくお願いします、葉月さん」

恋「やっと名前を呼んでくれましたね」

遥「あはは……すみません」

恋「いえ、わたくしも少し面白がっていましたから」

遥「そうなんですか?ひどいです……」

恋「正直に言えば、昨日の時点で誰の自己紹介もまともに聞いてはいないだろうなと思っていました」

遥「いや、あの……まあ、その通りなんですけど」

恋「ふふ……気にすることはありませんよ。人間ですから、そういうときもあります」
 
70: (とばーがー) 2022/06/11(土) 00:26:14.63 ID:5FXAO7ko
遥「ありがとう……ございます?」

恋「ずいぶんぎこちないお礼ですね……まあいいです。早く測定に行かないといけません」

遥「あっ、そうですね。体育館でしたっけ」

恋「はい、ですが、先に教室で着替えないと……」

遥「じゃあ、教室に行きましょう」

恋「ええ」

そう二人して廊下を歩き出す。
ところが、話題がなくなってしまって気まずい。何かないだろうか。

遥「……」

恋「……そういえば」

遥「はい?」
 
71: (とばーがー) 2022/06/11(土) 00:28:14.12 ID:5FXAO7ko
恋「明日は新入生歓迎会があるそうですね」

遥「新歓……ですか。何をするんでしょうか」

恋「……さあ?」

遥「ですよね……」

中学校のそれもなんとなく記憶にあるけど、体育館に上級生と一緒に集められて、何かの話を聞いて終わり、という程度のものだった気がする。
明日はまだ授業が始まらないけど、予定には新入生歓迎会としかなかったので、ある程度の長さがあるイベントなのだろうか。

遥「あ、でも……」

恋「どうされました?」

遥「私、明日は欠席なんですよね」

恋「……それはもったいないですね」
 
73: (とばーがー) 2022/06/11(土) 00:30:56.56 ID:5FXAO7ko
遥「もったいない?……何をするかは知らないんですよね?」

恋「はい。存じ上げません。……ですが」

遥「……?」

恋「母が言うには、とても素晴らしいものだ、ということでした」

遥「そうなんですね……あ、お母さまも東雲なんですか?」

恋「まあ別の学校の話ですが」

遥「ええー……」

単におしとやかな人かと思っていたけど、随分ユーモア溢れる人らしい。ユーモアと言うべきか自信が無いけど。

恋「というわけで、わたくしは楽しみにしていますよ」

遥「そんなものですか……。どっちにしても私は参加できないんですけどね」

恋「そうでしたね。明後日……は土曜日ですか。来週にわたくしが教えて差し上げます」

遥「じゃあそっちを楽しみにしておきますね」
 
74: (とばーがー) 2022/06/11(土) 00:32:02.43 ID:5FXAO7ko
恋「そういえば、ずっと気になっていたことがあるのですが」

遥「はい」

恋「ここって、東雲ではありませんよね?」

遥「……ここは、豊洲……ですね」

この学校は東雲学院と名前がついているけど、実際の所在地は豊洲だ。どこかから移転したとかなんとか聞いたことがある気がする。いや、それはまた別の何かの話だったか。

恋「やはりそうですよね」

遥「うーん……。まあ、お台場とか東雲とか、割と広く捉えられてそうですしね……」

恋「そういうものですか……。近江さんは近くに住んでいるのですか?」

遥「はい。そうですね」

恋「それで東雲学院なのですね」

遥「……まあ、そんなところです」

恋「……」
 
76: (とばーがー) 2022/06/11(土) 00:34:31.74 ID:5FXAO7ko
遥「……そういう葉月さんはどうなんですか?」

恋「わたくしは青山から」

遥「青山!?」

遥「え?東雲学院ってわざわざ青山から来るような学校なんですか?」

恋「まあこれだけ大規模ですし、有り得なくはないと思いますが……」

遥「いやいや!青山だったらもっと色々あると思いますけど!」

恋「……そんなこともありませんよ」

遥「……そうですか……?」

恋「……さ、早く着替えてしまいましょう」

遥「そうですね」

昨日帰りがけに見たのと同じ印象の葉月さんを、今日は初めて目にした。
 
77: (とばーがー) 2022/06/11(土) 00:36:11.85 ID:5FXAO7ko
遥「……」

体育館での検査を一通り終えて、渡された結果の用紙を睨んでいると、葉月さんが声をかけてくれた。

恋「どうしました?」

遥「……伸びてないんです……」

恋「身長ですか?」

遥「はい……葉月さんは……?」

恋「わたくしは163センチでした」

遥「いいなあ……」

恋「気にしているのですか?」

遥「せめて平均くらいは……」
 
78: (とばーがー) 2022/06/11(土) 00:38:06.70 ID:5FXAO7ko
恋「うーん……」

遥「……なんですか?」

恋「いえ、この年から伸びるのは少し難しいのではないかと」

遥「もー!」

恋「よいではないですか、身長が低いから子どもというわけではないのですから」

遥「……はい、そうですね。ありがとうございます」

恋「いえ、それでは次に行きましょう」

その言葉に応じて体育館を出る。校舎に戻ってきたところで、どちらへ向かうか決めていないことに気づいた。

遥「次は……好きなところから回っていいんでしたっけ」

恋「はい。……聴力検査ならここですよ」

遥「じゃあそうしましょう」

踏み込んだ瞬間、視聴覚室特有の香りや雰囲気と同時に、外とは明確に違う静寂に体を包まれる。穏やかな空気であるのに、厳格に静粛を求める状況に口を開けなくなる。
横を見ると、にこやかに微笑む葉月さんの顔があった。

現代的には、こんな時ならLINEでチャットでもすればいいのだけれど、葉月さんと初めて会話をしてまだ数時間も経っていない中で連絡先など交換しているはずもない。ここを出たら聞こうと思いながら列が進むのを待った。
 
79: (とばーがー) 2022/06/11(土) 00:40:42.27 ID:5FXAO7ko
遥「……ふう……息が詰まったなあ……」

恋「静かな空間もよいものですよ」

遥「そうですけど、いきなり会話を打ち切られると息苦しいです」

恋「ふふ、そうですね」

遥「葉月さん、LINE交換しませんか?」

恋「らいん……ですか?」

遥「はい」

恋「……らいんとはなんでしょう?」

遥「えっ」
 
80: (とばーがー) 2022/06/11(土) 00:42:22.15 ID:5FXAO7ko
遥「葉月さんLINE知らないんですか!?」

恋「すみません……。お恥ずかしながら……」

驚いた。今どきLINEを知らない女子高生がいるのか。
もしやスマホすら持っていないなんてことも……。

遥「え……っと、スマホは持ってますか?」

恋「一応持っています。……ただ、使い方がよく分からないので電話ぐらいにしか」

遥「……そ、そうですか。LINEを入れると、電話とかチャットとかが簡単にできるようになるんですよ」

恋「そうなのですね。よろしければお願いしてもいいですか?」

遥「はい、いいですよ」
 
81: (とばーがー) 2022/06/11(土) 00:44:08.40 ID:5FXAO7ko
遥「……はい、あとは私を友だちに登録しますね」

自分のスマホを取り出す。件のLINEの、しずくちゃんからのメッセージの通知が来ていることに気づいた。内容は明日の葬儀の詳細らしい。

遥「あ、すいません、ちょっと待ってください」

恋「はい、ご随意に」

了解したことと、もうすぐお昼という時間なのでちゃんとご飯食べてね、と伝えてから本来の目的を達する。

遥「これで使えますよ」

スマホを返すと、常ににこやかな表情の葉月さんは、さらに柔らかな色を浮かべていた。

恋「ありがとうございます。……おや、サヤさんの名前があります……なぜでしょう」

遥「サヤさん?……ああ、電話番号を知ってる人がLINEを使ってると自動で登録してくれるんです」

恋「本当に便利ですね……」

というか、そのサヤさんという人以外誰も登録されなかった。交友関係の狭さについては私も他人のことを言えないけれど。
 
82: (とばーがー) 2022/06/11(土) 00:46:29.95 ID:5FXAO7ko
私が怪訝な顔をしてしまったのに気づいたのか、葉月さんが説明してくれる。私が疑問に思ったことではなかったけれど。

恋「ああ、サヤさんというのはわたくしの家で働いてくれているメイドで……」

遥「メイドがいるんですか!?……あ、すみません、つい大声を」

恋「構いませんよ。これを言うと多くの方がそういう反応をされますから」

恋「……ああ、いえ、もうメイドではありませんね。同居人といったところでしょうか」

メイドが同居人になる、というのは一体どういう事情なのだろうか。理由は気になるけどさすがに気が引ける。なんとか顔に出さないように思いとどまった。

遥「葉月さんがなかなかすごい人なのはよく分かりました……さ、行きましょう!」

恋「はい、そうですね」
 
83: (とばーがー) 2022/06/11(土) 00:48:42.39 ID:5FXAO7ko
手元の光を視界の端に捉えてスマホの画面に目を向けると、しずくちゃんから返信が来ていた。早めだけど、もうお昼は食べたらしい。とりあえずは元気そうでホッとする。

恋「……近江さん、笑顔が素敵ですね」

遥「いきなりなんですか!?……え、私笑ってました?」

恋「はい、それはもう」

遥「……そっか、そうなんですね」

何かに気づきそうになった頭に、軽快な、けれど休憩中でもない学校という場には不釣り合いな通知音が飛んでくる。私のスマホはサイレントモードにしているから……。

恋「……あ、わたくしですか」

遥「学校にいる間は音、切っておいた方がいいですよ……」

恋「そうですね。……あ、サヤさんからです」

遥「……」

恋「……あの、どうやって返信すればよいのでしょうか……」

何に気づきそうになったのかが分からず集中できないながらも、一通りスマホの使い方を教える時間は楽しかった。
 
84: (とばーがー) 2022/06/11(土) 00:50:46.21 ID:5FXAO7ko
他のクラスメイトよりも早く一通りの検査を終えて教室に帰ってきた私たちは、他に誰もいない教室で制服に着替えた。

恋「……あの、つかぬ事を聞いてもよろしいでしょうか?」

遥「なんですか?」

恋「近江さんは制服は2着お持ちなのですか?」

遥「……?いえ、これ1着ですけど……?」

恋「そうなのですか。……あの、昨日と比べて随分くたびれていませんか?シワがいくつか見えていますし、若干汚れがあるような……」

遥「ああ……」

それは仕方ない。昨日の今頃はまだ新品同様だったこの制服は、雨の中転んで地面に打ち付けられ、その後しずくちゃんを抱きしめている間10分ほど雨ざらしになり、その後も自然乾燥に任せ、やっと家に帰った後も着替えることを忘れて、挙げ句の果てにそのままソファで寝てしまったためにシワが付いて汚れが付いてくたびれまくっている。朝からアイロンをかけてはきたけど、一度クリーニングに出さなければどうしようもないと思う。

遥「昨日は……その、色々ありまして」

色々のひとことで済ませたけれど、改めて異常な経過だと実感する。
 
85: (とばーがー) 2022/06/11(土) 00:52:39.24 ID:5FXAO7ko
恋「……もしかして、昨日東雲であった交通事故ですか?」

遥「……!」

なぜ分かるのかと驚いたけど、昨日そのニュースをやっていたのは私も見たのだ。知っていても不思議はない。

恋「やはりそうなのですね」

遥「……明日、葬儀なんです。その事故で、亡くなった方の」

恋「明日は欠席というのは、そこに参列されるからなのですね」

遥「はい」

恋「……でも、おかしくありませんか」

遥「?」

恋「どのように関わり合いになったのかは存じませんが、そのような事に巻き込まれたのなら、なぜ近江さんは昨日よりも明るく振る舞っているのですか?」

遥「……!」

遥「……それは……なんででしょうかね」

恋「近江さんがよければ、詳しく話してみませんか?」

遥「……そうですね……」
 
86: (とばーがー) 2022/06/11(土) 00:54:30.35 ID:5FXAO7ko
恋「それで、迷っているのですね。しずくさんと暮らすかどうかを」

遥「はい」

恋「……そして、本心では、共に暮らしたいのですよね?」

遥「……」

その問いには返答できない。それを口にすると、全てが決まってしまいそうで勇気がない。

恋「……先ほど、サヤさんはもうメイドではないとわたくしが言ったのを覚えていますか?」

それはもちろん覚えている。ああも印象的な言葉をそうそう忘れられる訳はない。言葉の代わりに軽く頷いた。

恋「……わたくしの家の近くに、かつて神宮音楽学校というのがありました」

遥「……はい?」

聞いたことのない名前だ。もちろん東京都内にある学校なんてあまりにも膨大で、知らない物の方が多いに決まっているけど。

恋「神宮音楽学校は既に廃校になっています。そこに通っていたわたくしの母は、幸か不幸か、資産家の家の子でした」

それは確かに違和感がない。目の前の葉月さんはいかにもお嬢さま然としているし、メイドを雇っていたという言葉とも符合する。

恋「母は、学校を結ヶ丘と名付けて再建しようとしました。ですが、その願いは叶うことなく、また、元々病弱だった母は、2年前、帰らぬ人になりました」

遥「……」
 
87: (とばーがー) 2022/06/11(土) 00:56:23.76 ID:5FXAO7ko
恋「わたくしも母の通っていた学校に、結ヶ丘に通いたいと思っていました。ですがそれが不可能だと決まって、わたくしはむしろ、結ヶ丘を思い出すことのないように、結ヶ丘とは全く違う学校に行こうと思いました。それが東雲学院です」

恋「東雲は海が近かったり、制服がえんじ色だったり、神宮音楽学校とは大局に位置するような学校ですからね」

遥「それでさっき、青山なら学校なんていっぱいあるんじゃないかって私が言ったとき、そんなことないって言ったんですね」

恋「おっしゃるとおりです」

恋「そして、学校の再建のために資産の殆どを使っていた葉月家は、その外見とは裏腹に、生活に余裕があるとは言えない状態でした」

恋「母亡き後……いえ、割と最近のことですが、わたくしの家に元々仕えてくれていたサヤさんにお給金を払うことすら出来なくなってしまいました」

恋「サヤさんはタダ働きでもいいと、この身に余る光栄なことを言ってくださいましたが、そんなことは出来ません」

遥「それで、もうメイドではない……ということですか?」

恋「はい。わたくしは、本当に一人で生活していくつもりでしたが、世間知らずなわたくしにそんなことは出来ませんでした」
 
88: (とばーがー) 2022/06/11(土) 00:58:40.29 ID:5FXAO7ko
それはそうだと思う。人のことは言えないけど、現代でスマホひとつ扱えないのでは相当苦労することだろう。

恋「そこで、わたくしは主従の関係ではなく、対等な同居人として共に生きていただけないかと提案しました。ありがたいことに、サヤさんは快く受け入れてくださいました」

恋「対等とは言っても、わたくしは物を知らず、まだまだサヤさんに頼り切りなところが多いのですが」

恋「……ですからおふたりも、支え合っていけば、きっと大丈夫ですよ。……それに」

遥「……それに?」

恋「わたくしも、頼りないながら、お力になりますよ」

そう言って、同い年で、誕生日だってそう変わらないはずの葉月さんは笑顔を浮かべる。私にはまだまだ真似できない、けれどいつか辿り着きたい、そんな大人の表情だった。

遥「……はい!」
 
89: (とばーがー) 2022/06/11(土) 01:00:26.73 ID:5FXAO7ko
遥「……あの、どうして私に話してくれたんですか?すごくプライベートなお話なのに……」

恋「昨日見たあなたの様子が、かつてのわたくしを見ているようだったからですよ」

顔を伏せられたあの時、葉月さんはそんなことを考えていたのか。
私もしずくちゃんにとって、こんな頼りがいのある大人になれるだろうか。

遥「ありがとうございます。……昨日は、お姉ちゃんと同じこの学校に来たのに、お姉ちゃんがいないから、ああなっていたんです」

恋「お姉さんというのは……」

遥「亡くなりました。……私がここに合格したことを伝えた数日後に。生きていれば今この学校の3年生でした」

恋「そうですか。……大切な人なのですね」

遥「はい。とっても」
 
90: (とばーがー) 2022/06/11(土) 01:00:59.09 ID:5FXAO7ko
遥「葉月さん、今日は本当にありがとうございました!」

恋「いえ、どういたしまして。明日は頑張ってくださいね……というのも変でしょうか」

遥「あはは……そうですね。私に出来ることをしようと思います」

恋「それでいいと思いますよ。それではまた来週」

遥「はい、また!」
 
91: (とばーがー) 2022/06/11(土) 01:03:06.71 ID:5FXAO7ko
朝のひんやりした空気に包まれたベイエリアをひとり歩いて、通勤ラッシュにはまだ早い駅を目指す。
本来なら学校が始まるくらいの時間には鎌倉に着くはずだ。

遥「……まだ寒いなあ……」

午後からは暖かくなるという予報の言葉を信じて厚着せずに来たのだ。その信頼を裏切らないで欲しい。
朝っぱらから礼服を着て、しかも女子高生がひとり、鎌倉まで1時間弱の間電車に乗っていたらさぞ目立つことだろう。制服のある中高生ならばそれが正装という一般常識が、えんじ色で大層目立つ東雲学院の制服にも適用されることを改めて祈りながら改札を通る。

10分弱で到着するはずの電車がなかなか来ずにもどかしい。時刻表と時計を照らし合わせても、遅れは特にないようだった。
しずくちゃんはまだ寝ているだろうか。私が行くまで起きなくてもいいよね。

『お待たせいたしました。1番線に、各駅停車、大崎行きが参ります……』
 
92: (とばーがー) 2022/06/11(土) 01:05:24.53 ID:5FXAO7ko
定刻に来た遅い電車に乗り込み、誰も座っていないシートの端に腰を下ろす。
鞄を置こうと隣を見て、やはり膝の上に載せたままにする。次に乗るときには、なんて考えて。

いつの間にか発車していた電車の規則的な音と揺れについ眠りそうになる。

まどろみながら、途中の駅で、ある刑事ドラマの音楽を使った発車メロディを耳にして、また事故のことを思い出した。
犯罪に対して直接被害者がすること……あるいは、出来ることはほとんど無いとも聞く。
しずくちゃんがこの先どう向き合っていきたいかは知らないし、分からないけど、少なくとも傍に寄り添えればいいな。
そんなことを考えていた。

『……JR山手線、JR湘南新宿ライン、JR埼京線と……』

どうやらもうすぐ乗換駅のようだった。
 
93: (とばーがー) 2022/06/11(土) 01:07:19.65 ID:5FXAO7ko
埼玉からやってきた、いかにも東京と神奈川を繋いでいるという名前の路線に乗り換えると、そのうちに東雲近辺では見られないような住宅街に景色が変わる。
それで、田舎と言っては語弊があるけど、だんだんとしずくちゃんの生きてきた場所に近づいている錯覚のような実感を得る。

けど、私の予測を裏切るように、しばらくは都会の景色が続いて、見慣れたようで目新しい景色をそれでも新鮮に思って眺めていた。
通学の時間になってきたのか、初めて見る制服姿の高校生が目立つようになってきた。
私の明るい礼服はやはり、どうにも目立っているようで、落ち着かない気分になってしまう。

そのうちに、いかにも郊外といった風情の景色を経由して、緑豊かな世界に潜り込んでいく。建物にも徐々に古の色が混じり出す。
鎌倉駅はすぐそこだ。
 
94: (とばーがー) 2022/06/11(土) 01:09:08.13 ID:5FXAO7ko
鎌倉駅から、ほとんど使ったことのないタクシーを使って斎場に向かう。
女子高生一人が乗り込んできたことで珍奇なものを見る目を向けられたけど、行き先を告げるとおおよそ納得した風だった。

遥「おはようございます」

「おはようございます。朝早くからありがとうございます」

遥「いえ、お気になさらず……しずくちゃんは?」

「まだ寝ています。やはり疲れているようで」

遥「そうですよね。まだ寝かせておいてあげましょう」

「ありがとうございます」

しずくちゃんが目覚めるまで諸々の準備を手伝うことにした。
 
95: (とばーがー) 2022/06/11(土) 01:11:19.89 ID:5FXAO7ko
遥「……あの、すこしよろしいですか?」

「なんでしょう?」

遥「どうして私だったんですか?私ただの高校生ですよ?」

「……あの子がなついていたからです」

「あの子自身から聞いたと思いますけど、あの子が気を許せる人は本当に少なくて、私も姉もどうにかしてあげたいと悩んでいたんです」

「なのに姉がいなくなってしまって、どうやってこの子を幸せにしてあげられるのかと思っていたときに、あの子がああ言ったものですから……」

遥「なるほど、そうでしたか」

「……あの、お願い、できますか?」

遥「……しずくちゃんが、私でいいなら」

30分ほどして、葬儀社の人がやってきて少し騒がしくなる。しずくちゃんはその頃に起きてきた。
 
96: (とばーがー) 2022/06/11(土) 01:13:34.17 ID:5FXAO7ko
しずく「……おはよう……」

いかにも眠そうな声で朝の挨拶をする彼女。私は挨拶を返しながら向かう。

遥「おはよう、しずくちゃん」

しずく「……お姉さん。おは……」

しずく「……なんで抱きしめてるの?」

遥「うーん……なんとなく?」

しずく「お姉さんそんなキャラだったの?」

遥「んー……」

しずくちゃんと初めて会ったおとといまでが特殊だっただけで、本来の私は割と社交的な人間だ。目覚めたばかりの人間を抱きしめることが社交的といえるかはともかく。
なんなら同じようなことをおとといもしている。
お姉ちゃんはよく私にこうしてくれた。お姉ちゃんがしたかっただけだと思うけど、私もそれで幸せだった。
 
97: (とばーがー) 2022/06/11(土) 01:15:18.88 ID:5FXAO7ko
遥「突然ごめんね。……イヤだった?」

しずく「ううん、そんなことない」

遥「ありがとう。しずくちゃんにそう言ってもらえてうれしい」

そう言って離れた。
あらためてしずくちゃんの顔を窺う。少し寂しそうな色が浮かんでいるのは、私にか、それとも……。

遥「しずくちゃん、私が傍にいるからね」

しずく「……うん、ありがと」

遥「……手、つなぐ?」

しずく「うん」

大人びていても年相応に甘えられる様子にホッとする。
手を繋いだままでは何も出来ないけど、準備は大方終わっているから後は任せよう。
 
98: (とばーがー) 2022/06/11(土) 01:16:54.72 ID:5FXAO7ko
しずく「お姉さん、その髪型初めて見た」

遥「うーん……そもそも私を見たのって今日でまだ2回目だよね?」

しずく「そうだけど」

今日の私は、数か月ぶりにリボンでツインテールにしていた。葬儀の場には不釣り合いかと思ったけれど、もう下ろすのは私らしくなかった。

遥「変かな?」

しずく「ううん、すごくかわいいと思う」

遥「ありがとう」

しずく「……でも、下ろしてるのもかっこよかったな」

遥「しずくちゃんがしてほしいなら、時々おろしてみるよ?」

しずく「じゃあ……お願い」
 
99: (とばーがー) 2022/06/11(土) 01:18:44.40 ID:5FXAO7ko
そのうちに参列者がやってきて、どんどん雰囲気が忙しなくなってくる。
親を亡くしたしずくちゃんへの哀れみか、見慣れない私の物珍しさか、こちらを窺う人も時々いて、ただ座っていることが落ち着かなくなる。
横を向くと、どうやら彼女も同じ気持ちでいるらしかった。

遥「しずくちゃん、ちょっと散歩する?」

しずく「え?……でも」

遥「まだ大丈夫だよ」

しずく「ほんと?……なら、いく」

しずくちゃんを連れて外に出る。
山をすこし切り開いて作った葬祭場には、あまり人の気のしない場所がなかった。少し麓に下りて、駐車場になっている場所で、私たちは木陰に入った。これで人の死と無縁な場所であれば理想的だけど、現実はそうあってはくれない。
 
100: (とばーがー) 2022/06/11(土) 01:20:28.74 ID:5FXAO7ko
斎場が落ち着かなかったのは嘘ではないものの、私にはしなければならない話もあった。

遥「しずくちゃん、寒くない?」

しずく「大丈夫だよ」

遥「……」

しずく「お姉さん?」

遥「あのね、しずくちゃん。……私は、しずくちゃんを支えたいと思ってる。色んなことをしてあげて、色んな話を聞いてあげたいって思ってる」

しずく「?」

遥「でも、私だけじゃダメなんだって思うの。それじゃ上手く行かないんだって、昨日教えてもらった」

しずく「……」

遥「だから、しずくちゃん。しずくちゃんも、私を支えてくれるかな?……そうしたら私たち、一緒に生きていけるよ」

しずく「……私、なにすればいいの?」

遥「……んー……なんだろうね」

しずく「え?」

遥「今はまだ、わからなくていいんだよ。何か困ったときに、一緒に話し合って、力を合わせられれば、大丈夫」
 
101: (とばーがー) 2022/06/11(土) 01:21:28.91 ID:5FXAO7ko
少し上を向いて、私を真っ直ぐ見てくれる。頭の後ろには、今にも羽ばたきそうな蝶がいる。

しずく「……なら、私は大丈夫。お姉さん、私と、生きてくれる?」

……その笑顔に言う言葉は、もう決まっていた。

遥「……しずくちゃん、『お姉さん』と一緒に暮らすの?」

しずく「え?どういうこと?」

遥「『お姉ちゃん』って、呼んで欲しいな」

しずく「……!」

しずく「お姉ちゃん!」

遥「うん!お姉ちゃんだよ!」
 
102: (とばーがー) 2022/06/11(土) 01:23:15.98 ID:5FXAO7ko
終わりです
読んでいただいた方、途中保守していただいた方、ありがとうございました
次回作が完成すれば同居をはじめたはるしずの日常の話になります
こんな話を書いておいてあれですがはるかなは大好きです

過去作
歩夢「かすみ」かすみ「ぽむちゃん?」
歩夢「ブックマーク同好会?」栞子「はい…」
かすみ「ぽむちゃんの」栞子「あゆねえの」歩夢「誕生日?」
 

引用元: https://nozomi.2ch.sc/test/read.cgi/lovelive/1654852449/

タイトルとURLをコピーしました