【SSコンペ】かすみ「事故物件」【ラブライブ!虹ヶ咲】

SS


1: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:07:47.91 ID:BoFYn4nN
ラブライブ!SSコンペを開催します!
https://nozomi.2ch.sc/test/read.cgi/lovelive/1685782999/l50

※人を選ぶ内容となっていますのでご注意ください
 
2: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:09:20.40 ID:BoFYn4nN
 車窓から見える景色は田舎。ここは本当に東京なんだろうか。スマホの画面を見ると、電波は圏外をいったりきたりしている。ローカル線の電車に揺られつつ、そんなことを思った。

 時刻は夕食時くらい。夏に近づいているため日は徐々に長くなっている。変な時間に、変な場所に待ち合わせを指定したものだ。

 昨晩の電話を思い出す。あれは、私が仕事でくたくたになって疲れていた時のこと。

しずく『──こんばんは。かすみさん』

しずく『──うん。今、みんなと別れたところ。久々にみんなと会ったけど、全然変わってなかったよ』

しずく『──大事な話をしたんだ。うん、すごく大事な。かすみさんにも伝えるから安心して』

しずく『──次はかすみさんも絶対来てよね。みんな会いたがってたし』

しずく『──あ、そうそう、用事があったんだった』

しずく『──明日、十八時過ぎくらいに■■駅にまで来て欲しいの』

しずく『──ごめんね。今は何も言えない。でも、来て欲しいの。絶対』

しずく『──ありがとう。やっぱり、かすみさんも変わらず優しいままだね』

しずく『──うん。うん。じゃあ、また明日ね』

 突然の電話だった。昨晩は久々の同好会の集まりを蹴り、仕事の繁忙期に決着を着けた日だった。

 その集まりが終わった後、しず子から連絡が来たのだ。電話の内容自体は訝しいものだったが、全てを了承した。
 
3: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:10:22.22 ID:BoFYn4nN
 理由を聞かず、提案を快諾する。それこそ、親友の美学というものだ。

 一人笑みを深めていると、目的の駅まで着いたらしい。電車の床周辺から空気が排出される音が聞こえ、ドアが開いた。

かすみ「……あっつ」

 むわっとした熱気が一瞬で体を包む。六月だというのにこのうだるような暑さ。田舎だろうが東京だろうが、日本の蒸し暑さは同じだった。

 げんなりとしながらキャリーバッグを引き、駅の待合室に行く。ローカルな駅らしく、人気のない無人駅だった。空調の効いていない室内は居心地がいいとはとても言えず、意識を逸らすためについスマホを開いてしまう。

 一体、しず子はどうしてここへ……。

「Hello?」

 と、ここで、聞き慣れた声で、聞き慣れない挨拶が聞こえた。唐突だったが特別驚かなかった。億劫な感じにそちらを見やると、

「Hi! Kasumi!」

 大きなサングラスを身に着け、髪を二本に結んだ……しず子がいた。ステレオタイプな陽気な外国人、と言った印象を受ける。

かすみ「なにそれ……。しず子ってばこの暑さでやられちゃった?」

しずく「うわ。ひどい。かすみさんってそんな皮肉屋だった?」

 芝居がかった動きで悲しみを表現するしず子。なんだか、前に会った時より悪化している気がする。何が、とは言わないが。

 繁忙期明けで重い体に鞭を打ち、椅子から立ち上がった。本題に入る前に、一つ気になる点があった。
 
4: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:11:25.57 ID:BoFYn4nN
かすみ「というか、どうしたの? 二つ縛りなんて侑先輩っぽいじゃん」

 その言葉に、毛先をいじりつつ苦笑を浮かべながら、

しずく「あはは。どう? 似合ってるかな。イメチェンだよ、イメチェン」

 そう、陽気に笑った。

かすみ「ふぅん? まあ、いいんじゃない? 成人後でも、似合っていて可愛ければ全然いいと思うし」

 つられるように、私も毛先を弄ぶ。毛先だけ緑に染めており、それを見る度少し顔がにやけてしまう。

しずく「かすみさんのその髪も、よく似合ってるよ」

かすみ「ありがと。それで、どうしてここへ呼んだの?」

 褒め言葉を意識して軽く受け流す。しず子は待ってましたとばかりに指を鳴らした。

しずく「ね、かすみさん、最近暑いよね」

かすみ「……まあ、うん」

しずく「でしょ? 古くは打ち水、今はエアコン。もしくは避暑地へレッツゴー」

 靴音を鳴らしつつ、しず子は待合室をゆっくりと歩く。

しずく「二十四節気的には立夏を越え、天文学的にはまだ夏じゃない。でも、暑さの前に暦なんて関係ない。私から提案するのは、暑さも吹っ飛ぶような冷たい体験」

 そして、私の周りを一周したところで止まった。肩にしず子の片手が乗り、囁くように口を開き、

しずく「──事故物件で、レッツ納涼」

 そう、軽い調子で言われた。

かすみ「……は?」

 私の口からは、気の抜けたような声だけがでた。
 
7: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:12:27.40 ID:BoFYn4nN
──

 ゲロゲロと鳴く騒がしい音に、キャリーケースを引く音で応戦しつつ、田んぼ道を歩く。

しずく「だって……一人じゃ怖いんだもん」

かすみ「だからってさぁ……今? それ、今ぁ?」

しずく「思い立ったが吉日って言うでしょ?」

かすみ「……まあ、いっか」

 あのバカバカしい提案に関しては考えないようにする。もうここまで来てしまった。今さら帰るのも億劫だ。

 しず子は乗り気ではない調子の私に焦っているのか、慌てふためきつつ言葉を選んでいた。

しずく「……えぇと、あ、そうだ。かすみさんのその毛先、さっき聞きそびれちゃったけど、どうして染めてるの?」

かすみ「……んまあ、ちょっとね」

 明らかな話題逸らしを理解しつつ、それに濁す形で答えた。

しずく「ちょっとって、何か秘密でもあるの?」

かすみ「いや、別に……秘密ってわけじゃ」

 先ほどまで私が優勢だったのに。有頂天になってこんな匂わせしなければよかっただろうか。

 実のところ、私が毛先を染めたのはしず子からの電話の後だった。急いでまだ営業中の美容院に駆け込み、あの人とお揃いにして貰った。
 
8: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:13:30.76 ID:BoFYn4nN
しずく「じゃあ、言えるはずでしょ。ほら、ほらっ」

 にこにこと愉快そうに返答を促してくる。調子のいい親友に一泡吹かせたい、そんな気持ちが大きくなる。だから言ってしまおう、と思った。

かすみ「……実は私、侑先輩と付き合ってるの」

 絞りだすように言う。蛙鳴蝉噪の中、その言葉はやけに明瞭に響いた気がする。私の言葉にしず子の反応は、

しずく「……へぇ」

 不気味なほど無表情──かと思えば、一転して笑顔になった。見間違え、だろうか。

しずく「そうなんだ! だから毛先だけお揃いにしたんだね。全くかすみさんってば……いじらしいね」

 ぐいぐいと肘で小突かれる。どうやら、気のせいだったらしい。

かすみ「えへへ……。まあ、それもあるんだけど、昨晩侑先輩から電話があってね」

しずく「電話?」

かすみ「うん。実は、次にみんなと会う時、私達との関係を話そうって言われたんだ」

 そう。昨晩侑先輩から言われたのだ。私と数年前から恋人同士であることを公表しよう、と。なんだか……それが無性に嬉しかった。真の意味で、恋人になれた気がして。

しずく「ふぅ~ん……。ちなみに、いつから付き合ってたの?」

 相変わらず、興味深々な感じで聞いてきた。もう隠す意味もないので口は軽く動いた。
 
9: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:14:33.57 ID:BoFYn4nN
かすみ「卒業式の日だよ。侑先輩が告白してくれたの。『卒業した後も、私と一緒にいて欲しい』って。二つ返事でおっけーしちゃったよね」

しずく「そっかぁ……。卒業式の日なんだ……」

 それだけ聞くと、しず子はどこか遠い目をしていた。陽は沈み切り、時折点滅する街灯からでは詳細な表情が見えない。

 それから数秒、しず子は何か思いついた顔で口を開き、

しずく「じゃあ知ってる? 侑先輩の秘密」

かすみ「え? なに突然」

しずく「秘密だよ。ひ・み・つ」

 楽し気な口調だった。秘密……。しず子が知っていて、私が知らない秘密。それはなんだか、薔薇の花弁のように華美であり、薔薇の棘のように危険な気がした。

しずく「ね、何か心当たりはない?」

かすみ「心当たり……」

 つい、胸中を探る。すると、潮干狩りでもするように、容易に心当たりは出てきた。

 実は、私は侑先輩の家に行ったことがない。遊ぶ時は、睦み合う時は、絶対に私の家かホテルだった。だから、恋人の家を知らないのだ。

 みんなに私たちの関係を公表しないのは『そういうこと』じゃないのか、と邪推した時もあった。だからこそ、昨晩の電話は嬉しかった。私たちは恋人なのだと、自分の立場を再確認できたから。

 でも、依然として私は侑先輩の家を知らないし、本当に恋人であると確証を得られたわけじゃない。

しずく「──どうしたの?」

 心臓を鷲掴みにされたようだった。思考の沼にはまっていたらしい。いつの間にか、多量の汗を搔いており、足も止まっていた。
 
10: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:15:35.61 ID:BoFYn4nN
しずく「すごい汗……。待ってて。今、拭いてあげるから」

 しず子は小さな手提げから綺麗な刺繍の入ったハンカチを取り出す。高価な花瓶にでも触れるように、汗が拭われていく。

 そんな気遣いの塊みたいなことをされたからだろうか。思わず、口を開いた。

かすみ「……ねぇ、侑先輩の秘密って……浮気?」

 その言葉に、しず子の動きが止まる。暫しの沈黙。田んぼの蛙が耳障りだった。

かすみ「私は、本命じゃないのかな……。単なる遊びだったのかな……」

 ぽつり、ぽつり。そんな言葉が続く。侑先輩のことは好きだ、大好きだ。それに見合うほどの愛を貰っている。好きを囁けば、それを凌駕するほどの大好きで返ってくる。

 でも、それを上書きできない不審さが確かにあった。

 返答を待っていると、しず子は口を開き、そのまま慰めを口にするように、

しずく「そんなわけないでしょ」

 にこやかに笑った。

しずく「侑先輩はそんなことをする人じゃない。確かに好きなことには優柔不断な人かもしれないけど、浮気なんて不義理なことをする人じゃないよ。それはかすみさんが一番知っているはずでしょ?」

 そして、最後の汗のしずくを拭いきった後、

しずく「かすみさんは本命だよ。絶対、間違いなく」

 そう、言い切った。嘘でも慰めでもない。心の底からの言葉だって理解できた。そう思ったら、なんだか力が抜けた。
 
12: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:16:37.12 ID:BoFYn4nN
かすみ「……だ、だよね。ごめん。ちょっと……仕事で疲れてメンタルやられてたかも」

しずく「いいって。私とかすみさんの仲でしょ?」

かすみ「……ありがと。やっぱり、しず子が一番の親友だよ」

しずく「ふふっ。その言葉は野暮ってものだよ。それにほら、気付いてる?」

 唐突に、しず子は指を一本立てて横を指さした。

かすみ「え……?何が?」

 頭が付いていかず、その指差す方向を見ると、

しずく「──ここが、目的地だよ」

 ブロック塀の向こうに、築年数が私の年齢を遥かに超えていそうなアパートがあった。街灯が不規則に点滅し、ひび割れた壁が不気味さを過剰に演出している。

しずく「ここの二階。その一番隅が事故の起こった部屋だよ」

かすみ「ここが……」

 圧倒されるようにして声を出した。

しずく「それでね、この事故物件にも秘密があるんだ」

 秘密に次ぐ秘密。そう言えば、侑先輩の秘密をまだ聞いていない。しず子はいたって真剣そうに、心霊番組のリポーターのように、

しずく「ここの秘密を暴けたら、侑先輩の秘密を教えてあげる」

 その言葉を紡いだ。
 
13: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:17:38.83 ID:BoFYn4nN
──

 古びた木製の扉。ドアノブに触れると固定が甘いのか、少しだけ上下にズレた。老朽化、それをひしひしと感じた。

 扉を開けるのは私の役目だ。先ほど運命を決めるじゃんけんに負けた。

 生唾を一つ飲み込む。ホラー耐性は一切と言っていいほどない、が、事故物件という非日常に胸が躍っている自分もいる。しず子の顔を一度見た後、意を決してドアノブを回した。

 ぎぃ……。軋む音に肝が冷えつつ、慎重に中を覗いていく。玄関前の天井に点灯している灯りだけが頼りだった。

 私はできるだけ足音を立てないように進み、玄関で靴を脱いだ。靴を揃える瞬間、しず子と目が合った。飄々としており、自宅にでも入るかのような落ち着き払い方に見える。

しずく「大丈夫? 手でも握ろうか?」

かすみ「……いい。一人でも平気」

 提案をすげなく断る。ほんのちょっぴり、砂粒一つ分くらいは握ってやってもいい。

 心臓の鼓動が激しくなるのを感じながら、薄暗くよく見えない壁を探った。電気が点けばこんな恐怖……。

 だが、同時に思った。電気が点いた途端、恐ろしい化け物が姿を現すのではないか、と。そんなホラー的な演出は映画で腐るほど見た。こんな時に思い出さなくてもいいのに……。

 そんな不安に心が侵食される中、ようやく壁のスイッチを探り当てた。一度小さく呼吸を整えた後、「よし」と自分を勇気づけるように声を発し、スイッチを押した──

かすみ「──は」

 途端、私の目が捉えたのは、人。
 
14: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:18:41.82 ID:BoFYn4nN
 いや、人というより、人の形、もしくは人の輪郭。背丈は男性のバスケットボール選手くらい──が、真っ黒なカーテンを上から被っているような風貌だった。

 それが、倒れ込むようにこちらへと向かってきた。

かすみ「……っ!!」

 悲鳴を上げるより早く、私の脳は逃亡を選択した。弾かれるように後ろを振り向き、玄関へと戻る──

 振り向いた瞬間、私の目と鼻の先に能面があった。比喩でもなんでもない、あの、無表情に人を見つめる能面があった。

 前門の虎、後門の狼。私の脳は逃亡を諦め、意識を手放すことで自己防衛することを決定したらしい。

 あぁ……来るんじゃ、なかった……。

 最後、いや、最期に私の視界に映ったのは、能面を外したしず子の顔だった。
 
15: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:19:43.64 ID:BoFYn4nN
──

しずく「ごめんってばかすみさん。悪ふざけが過ぎたよ……」

 眉を下げ、今日何度目か分からない謝罪の言葉をしず子は口にした。私のはらわたは煮えくり返っており、そんな謝罪では到底溜飲なんて下がるわけなかった。

 ちらりと横を見ると、私を襲った黒衣の化け物──もとい、ポールハンガーと厚手の黒い布が転がっていた。人の想像力、いや補完力とは恐ろしいものだ。

しずく「だって……いいじゃん、たまには。かすみさんがいつも悪戯を仕掛けるパターンだったし、私からしたってさ……」

 最後には、口を尖らせて拗ねていた。もう二十歳は超えているのに、反応だけは高校の頃のままだった。私は大きく、大きく大きく、ため息を吐いた。

かすみ「わ~かった。わかったよ、もう……。許す、許します。でもさ、私の悪戯は可愛いもんじゃん。なにあの本気のホラーは」

しずく「うぐっ」

かすみ「ちびるかと思ったじゃん。私、気絶するためにしず子のドッキリに着いてきたってわけ? それも繁忙期を終えてくったくたの私は」

しずく「ご、ごめんってばぁ……。本当に、本当に……悪かったと思ってます……」

 清々しいほどの土下座。いいところの生まれだからだろうか、その所作一つ取っても雅さを感じた。まあ、ここらでいいだろう。上がり切った溜飲は天井に届き、後はもう下降するだけとなった。
 
16: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:20:45.72 ID:BoFYn4nN
かすみ「はぁ……。事故物件……ちょっとワクワクしてたけど、ドッキリなんてね……」

 ソファに体重を預けつつ、そう呟いた。

しずく「まあ、これはドッキリだけど……」

 よいしょと言いつつ、しず子は立ち上がって私の隣に腰を下ろしながら、

しずく「事故物件なのは変わらないよ」

 何気なく、その言葉を吐いた。

かすみ「……え?」

しずく「うん。先回りしてドッキリを仕掛けたのは本当だけど、ここは事故物件だよ。正真正銘のね」

かすみ「う、嘘でしょ……」

 冷や汗が背中を伝う。ここが事故物件。それにも驚いたが、そんなデリケートな場所でドッキリを行うなんてどれだけ肝が据わっているんだ。

 やはり、可愛げのある悪戯とは対極の位置にあると再認識した。

しずく「ちなみにね、事故物件には二種類あるんだ。シロアリとか雨漏りで建物に異常がある場合の物理的瑕疵物件。そしてもう一つ、人に不幸があった場合の心理的瑕疵物件」

 もちろん、と言葉を続け、

しずく「──ここは心理的瑕疵物件。幽霊やオカルトで語られるような、人が死んだ上にある場所だよ」
 
17: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:21:46.50 ID:BoFYn4nN
かすみ「……じゃあ、本題はここから、ってこと?」

 絞りだすような声音の私に対し、しず子は愉快に笑った。

しずく「うん。さて、かすみさんに問題。この物件はどうして事故物件になったでしょうか? 他〇? 自〇? それとも孤独死、かな? うぅん、第四の選択肢だってあるかもしれない」

 ここは、事故物件。なのに、どうしてこんなにも愉快に笑っていられるんだろうか。ホラーに耐性がある、それだけではない“ズレ”を感じた。

 だが、私はこの謎を紐解かねばならない。なぜなら。

かすみ「……それを解明できれば、侑先輩の秘密、教えてもらえるんだよね」

 その先に報酬があるから。

しずく「うん。約束は違えないよ。もっとも、私が教えなくてもいずれ気付くと思うけど」

かすみ「……え?」

 付いていけない私を尻目に、しず子は立ち上がった。

しずく「まずは、お部屋探訪と行きましょうか。現場のかすみさん」

かすみ「……うん」

 続いて、私も立ち上がった。
 
18: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:22:49.81 ID:BoFYn4nN
──

 お部屋探訪中、この物件は1LDKであることが分かった。しず子の話では、ここにある家具全て、前の所有者の物らしい。昨日まで誰かが普通に過ごしていたとしても疑わない、そんな生活感があった。

かすみ「そもそもさ、どうしてしず子が事故物件の鍵なんて持ってるのさ」

しずく「知らない? セルフ内見。不動産の人が同行しないで一人で伸び伸び内見できるの。他に、オンライン内見とかもあるらしいね」

 内見……。だから鍵を……。いや、今なんて言った? 内見だって?

かすみ「……待って。じゃあしず子はここに住むかもしれないってこと?」

 信じられない。しず子は私へと振り向き、小さく笑った。

しずく「うん。だってさ、家具も揃ってるし、何より安いでしょ?」

 事も無げに呟く姿に、私は一切の共感を得られなかった。確かに、家具のセンスはいいし外からじゃあ想像できないほど今風の内装だ。だからと言って、そういうことではないだろう。

しずく「まあ、かすみさんの言いたいことは分かるよ。でも、これは私の問題。かすみさんはこの物件の謎を解くことにだけ終始して」

かすみ「……はぁ。わかったわかった。謎に集中しますよ~っと」

 そのまま、年季を感じさせる襖の前で止まった。どこにでもあるような襖にしか見えない。
 
19: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:23:50.98 ID:BoFYn4nN
 しず子は振り返りつつ、平坦な声で告げる。

しずく「ここ、開けてみて」

かすみ「……また、何か仕掛けてるんじゃないの?」

 先ほどのことで私は疑心暗鬼に陥っている。そう易々と悪戯を成功させてたまるか。

しずく「ここには何も仕掛けてないよ。というか、もう何も仕掛けてない。私のドッキリは最初の一回こっきりだよ」

かすみ「……もし蛙でも飛び出して来たら本気で殴るからね」

 悪態をつきながら、襖に手を掛けた。こういう時は、一気に開けて、瞬時に中を見て、刹那に閉めるのが得策だ。

かすみ「せいっ──」

 掛け声と共に、思い切り襖を開ける──が、開かない。向こうに突っ張り棒でもあるのか、どれだけ力を入れても開かなかった。

 観念してしず子の方を向いた。

しずく「そこは、開かずの間」

 やや緊張した面持ちで、でも冷ややかな目つきで襖を……いや、その向こうを見ているように思えた。

しずく「丑三つ時にしか開かないんだって。でも、絶対に開けちゃいけないらしいよ」

かすみ「……それは、なんで?」

しずく「ふふふ……」

 疑問に対し、しず子は含み笑いのまま口を開け、

しずく「人生が終わっちゃうから、らしいよ」
 
20: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:24:52.57 ID:BoFYn4nN
 その言葉を吐いた。

かすみ「人生が終わっちゃうって……」

しずく「ふふ。ちょっと笑っちゃうよね。死ぬとか〇されるとかじゃなくて、人生が終わっちゃう。このちぐはぐさ、ちょっと面白い」

かすみ「……」

 しず子は正直言って少し変だ。でも、そこがチャームポイントでもあるし悪癖でもある。今日はその悪い部分が多く出ているらしい。

 それにしても……この開かずの間以外は本当に普通の物件だった。ラップ音が多発するとか、変な臭いがするとか、呻き声が聞こえるとか、そんなことはない。

 だからこそ、不自然なほど開かずの間が際立っていた。丑三つ時……。その時が来れば分かるのだろうか。

しずく「あ、それと、丑三つ時にはもうここを出るから。開かずの間は開けちゃダメって不動産の人に言われてるんだ」

 だが、出鼻をくじかれる。

かすみ「……えぇ? というか、これが事故物件の秘密なんじゃないの?」

 肩を落とし、襖を指さす。

しずく「う~ん、そうかもしれないけど……。私が言ってるのはもっと本質的な問題だよ」

かすみ「本質的ぃ……?」

 曖昧で抽象的な物言いに思わず語尾が伸びた。しず子はこれ以上ドッキリはないって言ってたけど、開かずの間の奥も仕掛けなのでは? と勘繰ってしまう。
 
21: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:25:48.81 ID:BoFYn4nN
しずく「まあまあ、きっと分かるよ。だいじょうぶだいじょうぶ」

 軽い感じに言いつつ、しず子はスタスタと別の部屋へと歩いていく。

かすみ「ちょっ、どこ行くの!」

 制止の言葉にこちらを振り向かず、

しずく「お夕飯、作ろうっ!」

 ぐっ、と拳を上に挙げて答えた。
 
23: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:26:52.38 ID:BoFYn4nN
──

しずく「かすみさんはザクザク担当ね。私はしゅるしゅる担当」

かすみ「はいはい……」

 玄関のすぐ近くにあるキッチンにて、私としず子は肩を並べて料理をしていた。どうやら事前に夕食の材料を買い込んでいたらしく、元々あった冷蔵庫に入れていたらしい。

 事故物件の冷蔵庫に入れた食材……。皮むきされていないじゃがいもを見つめつつ、食べていいものか悩む。だが、しず子にひったくられ、ピーラーで全身剝かれてしまった。

しずく「はい。ザクザクお願いね」

かすみ「……仕方ない。割り切りますかぁ」

 観念し、これまた事故物件にあった包丁を手に取って食材を切っていく。もしかして、凶器に使われた包丁じゃないよね……。嫌な想像を振り払い、切る作業に集中していく。

 ザクザク。しゅるしゅる。ザクザク。しゅるしゅる。ザクザク。しゅるしゅる。

 肩を並べ、食材を刻み、剥く音だけが室内に響く。時間がゆっくりと、それでいて優しく流れている気がする。

 なんだか、救われる思いだった。

 だからだろうか、つい、言葉が口を衝いて出た。
 
24: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:27:53.95 ID:BoFYn4nN
かすみ「……ごめん。昨日の集まり、行けなくて」

 言葉は、謝罪。しず子に会ってから、いや、会う前から抱えていた心の膿だった。

かすみ「本当は……行きたかったんだけど、でも、仕事が忙しくて……うぅん、そんなの言い訳だよね」

 自嘲気に息を吐く。そう、言い訳だ。

かすみ「……なんか、さ。大人になって、普通に会社員になって……。そんな生活に慣れれば慣れるほど、みんなに会いづらくなっちゃって……」

 ぽつり、ぽつり、懺悔のような言葉が次々にこぼれていく。

かすみ「スクールアイドルじゃない、中須かすみに……みんな、気付いてくれるのかなって。前みたいに接してくれるのかなって」

 だから、侑先輩に溺れた。だから、侑先輩の愛を信じられなかった。だから……こんなにも不安定になってしまった。

 侑先輩はただ一人……スクールアイドルではない、ただの中須かすみを愛してくれた人だったのに。

 ざくり。最後の食材を切り終わる。断頭台に固定された死刑囚のような気持ちでしず子の反応を待つ。

しずく「……次、みんなに会えば分かるよ」

 しず子の言葉は、そんな先送りの言葉。慰めるでも否定するでもない、先延ばしの言葉。
 
25: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:28:55.82 ID:BoFYn4nN
 続けて、視線を交わしながらしず子は口を開き、

しずく「少なくとも、私にとってかすみさんはかすみさんのままだよ」

 真剣な眼差しで射抜かれた。

かすみ「……そっか。うん。次に会う時、分かるもんね」

 心の中で何度も咀嚼していく。そうだ、悩んでいても仕方がない。また会えばいいんだ。それに、次にみんなと会う時は土産話もある。

 しず子に会って分かった。みんなと会うより、会わずにずるずる引きずっていく方が辛いって。

かすみ「ありがと、しず子」

しずく「うん」

 何事もなかったように、しず子は料理を続けた。変に気遣われないことに、彼女の優しさを感じた。

 そうして食材を鍋に入れ、ルーを入れてぐつぐつ煮込み、カレーは完成した。
 
26: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:29:58.03 ID:BoFYn4nN
──

かすみ・しずく「いただきます!」

 手を合わせて唱和する。これまた、事故物件にあったスプーンで食べていく。しず子のスプーンを口に運ぶ躊躇のなさに、私は少し呆れてしまった。逡巡するのがあまりに馬鹿馬鹿しい、と。

しずく「どうかな。変な物音とか、不気味な影とか、そんなの見なかった?」

かすみ「みへあい」

 もぐもぐと行儀悪く返答する。

しずく「そっかぁ……。ずいぶん図太くなったね。事故物件だって知らせずに、二重盲検法を試した方がよかったかな?」

かすみ「にうーもーへんほー?」

 にじゅうもうけんほう。聞き慣れない単語だった。しず子は口に含んだカレーをしっかり咀嚼して嚥下し、ようやく口を開いた。

しずく「二重盲検法。まあ、治験を行う人に対して薬の効果を知らせないことでプラシーボ効果とかバイアスに掛からないようにする、みたいな意味だよ」

 味わい慣れたカレーを咀嚼しつつ、その言葉の意味を考える。ごくり、今度は飲み込んで返答する。

かすみ「ふぅん。まあでも、知らせても動じないなら意味ないんじゃないの?」

しずく「まあ、そうだね」

 私としず子は同じタイミングで水を飲んだ。ふぅ、カレーはやっぱり水が進む。そんな雑談をしながら、カレーはどんどん量を減らしていった。美味しさは普通だが、胸が満たされるような食事だった。
 
27: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:30:59.87 ID:BoFYn4nN
 カレーの後には、私が可愛く切ったうさちゃんりんごがある。それを一つつまみ、口に入れる。みずみずしい触感が小気味よく鳴った。甘い清涼感溢れる味であり、蒸し暑い今日にぴったりだった。

 そんな時、しず子がりんごを誤って落とした。小さな落下音が耳に届く。

しずく「あ~あ……」

 途端、しず子は冷徹な視線をりんごに向けながら……残念そうな、いや、軽蔑でもするかのような声音でそう呟いた。部屋の中が一気に寒々しくなった気がする。

 しず子はりんごを拾い、少しでも触っていたくないように、乱暴にゴミ箱へと捨てた。その豹変ぶりに、思わず震える唇を開いた。

かすみ「ど、どうしたのしず子……。突然そんな……。それに、この床綺麗だし……まだ洗って食べられたかもしれないじゃん……」

 私の言葉に、しず子は胡乱な目つきを向けながら、

しずく「……はっ」

 鼻で笑った。
 
28: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:32:01.16 ID:BoFYn4nN
かすみ「何がおかしいの……?あのりんご、変なものでも付いてた?」

 映画のシークバーを思い切り右にズラしたような、そんな急展開についていけない。しず子は少し考える素振りを見せ、再び口を開いた。

しずく「……そうだね。付いてたよ、べったりと」

かすみ「……なにが?」

 水を飲んだばかりなのに、喉がやけに渇く。しず子は口角の端を上げながら、

しずく「穢れ」

 そう、吐き捨てるように呟いた。
 
29: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:33:03.31 ID:BoFYn4nN
──

しずく「知らない? 穢れって」

 改めて、しず子はりんごを口にした。りんごが嫌い……というわけではないらしい。

かすみ「言葉くらいはある、けど……」

しずく「ま、そうだよね。穢れって言うのは例えば……なんだか嫌な気持ち、かな? あるでしょ? あれは何となく触りたくない、あそこにはなんだか行きたくない。そういうのが穢れ」

かすみ「はぁ……。それがどうしてりんごに繋がるの?」

しずく「えぇと……。そうだ、かすみさんってさ、自分のおしっこって飲める?」

かすみ「……は?」

 一瞬、思考停止した。真剣な顔つきなのに馬鹿な問いをされたのは分かった。

しずく「あぁごめんね、ちょっと訂正。濾過とか色々な処理をして、飲料水として体に全く害がないおしっこ。それを飲める?」

かすみ「……嫌だけど」

 当然だ。どこまで処理をしても、それが自分の出した尿なら飲みたくないに決まっている。水が容易に手に入る現代だ。わざわざそれを口にする人はいない。宇宙空間でもない限り、進んで飲もうとはしないだろう。
 
30: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:34:05.65 ID:BoFYn4nN
 私の返答に対し、しず子は満足げに頷きながら、

しずく「それも、穢れが故に、だよ」

 淡々と口にした。しず子はそのまま言葉を続ける。

しずく「不潔な人が座った場所には、いくら消毒をしても座りたくない。だって、他に座れるところがあるから。愛する人に裏切られれば、いくら謝られても許せない。だって、もう穢れてしまったから」

 しゃくり。軽快にりんごを噛む。

しずく「だから、あのりんごはもう食べられない。最近知ったんだ、自分が潔癖症だって」

 そして、しず子の穢れに関しての講釈は終わった。何事もなかったように、彼女は次のりんごを手に取っていた。

 しず子のりんごを捨てた意味は理解した。だが、疑問が新たにもう一つ作られた。

かすみ「じゃあ、どうして……」

 少し震えた声音で、その矛盾を突く。

かすみ「事故物件になんて住もうとしてるの……?」

しずく「……」

 にこり。しず子は今日一番の笑みを見せた。
 
31: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:35:06.91 ID:BoFYn4nN
──

かすみ「事故物件なんて、そんなの穢れの典型じゃん……。それって、矛盾してるんじゃないの……?」

 聞いてはいけないことを聞いている。私の脳は最大限の警戒を呼び掛けていた。しず子は変わらず満面の笑みのまま、

しずく「だよね」

 そう、肯定した。 だよね? だよねって……なに? 場に数秒の沈黙が訪れる。

かすみ「は? え? じゃ、じゃあなんで……?」

しずく「なんででしょうか?」

 私の疑問に対し、しず子は唇に人差し指を当てて小首を傾げた。とぼけた態度に少し苛立つ。

しずく「どうして私は、潔癖症な私は、こんな穢れだらけの事故物件にいても大丈夫なのでしょうか?」

かすみ「どうしてって……」

 苛立ちを抑える。

 これは、まさか……。

 私は考えを巡らせる。この事故物件の意味を、秘密を。そして、しず子の言っていた言葉を思い出す。
 
33: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:36:08.77 ID:BoFYn4nN
しずく『うん。さて、かすみさんに問題。この物件はどうして事故物件になったでしょうか? 他〇? 自〇? それとも孤独死、かな? うぅん、第四の選択肢だってあるかもしれない』

 第四の選択肢。潔癖症のしず子が、事故物件でも平気な理由。

 そして私は気が付いた。とても馬鹿馬鹿しい、その理由を。

 とぼけた表情を続けるしず子に目線を合わせ、乾いた喉を震わる。

かすみ「理由は……ここが、事故物件じゃないから」

 そう、ここが事故物件じゃないのなら、全て納得できる。しず子の飄々とした態度、ドッキリを仕掛けられるその豪胆さ。その全てに辻褄が合う。

 返答を待っていると、しず子はパチパチと手を鳴らした。

しずく「ふふっ。おめでとう、かすみさん。正解だよ」

かすみ「……はぁ」

 その言葉に、思わず気が抜けた。全て演技だったのだ。私を正解に導くための、過剰なまでの演技。

 なんだか今日は一日……しず子に上手くやられている気がする。机に突っ伏しながら恨みがましく彼女を睨む。だが、柔和に微笑みを返されるだけだった。
 
34: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:37:10.11 ID:BoFYn4nN
しずく「でも、ここも広義では事故物件に該当すると思うんだよね」

かすみ「……今度はなに?」

しずく「だって、人の歴史は戦乱の歴史と言ってもいいよね。だから、人の住むところは大体誰かが死んでいるって考えられない? だから、どこもかしこも事故物件ばかり。だから、ここも事故物件と言えば事故物件なんだよ」

かすみ「はぁ~……。強弁だよ、しず子……」

 視線を外し、おでこも机に付ける。

 ……?

 机と接地したからだろうか、机から匂いが仄かに香った。嗅ぎ慣れた、私の大好きな──

しずく「強弁だよ。かすみさんの言う通り。ここは事故物件じゃない、普通の部屋」

 続く言葉に顔を少しだけ上げる。すると、しず子はいつの間にか立ち上がっていた。
 
35: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:38:11.45 ID:BoFYn4nN
しずく「数十年前、数百年前、ここで戦乱が起きたのでここは事故物件ですよね、なんて、そんな訴訟は恥ずかしくてできやしない」

 ゆっくりと、足元を一歩一歩確認するように、こちらへと向かってきた。

しずく「だから、不動産的にもここは事故物件じゃないし、大島てるにも載ってない」

 そしてしず子は、私の目の前で止まった。そこで気付いた。彼女が手に何か持っていることに。

 柄があって、鍔があって、そこから伸びるは光を反射させて光るもので──

 しず子は一度笑みを深くし、

しずく「ここが事故物件になるのはね、今からだよ」

 私の背中に、思い切りそれを振り下ろした──
 
36: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:39:13.17 ID:BoFYn4nN
──

かすみ「あっ、かっ、はッ、……っ!? な、っかはっ……う、嘘……!?」

 刺された。刺された刺された刺された。

 荒く息を吐きながら、私は床をのた打ちまわる。

 こういう時、どうすればいい。そうだ、まずは止血……。いや、だめだ。先決はここから離れること。

 私に刃を差し向けた、桜坂しずくから逃れるのが先決だ。

 鈍くなった体の動きで、私は芋虫のように這ってそこから離れる。

しずく「──ぷっ」

 だが、必死な私を尻目に、しず子から笑みが漏れた。

しずく「ぷっ、あはっ、あはははははははははははっ」

 恐怖だった。私を〇そうとした女が、哄笑を上げている。狂っている。狂気に満ちている。恐怖は益々私に巻き付き、瞼に涙が浮かんだ。

 無我夢中で地を這うが、芋虫と人間では機動力に差がありすぎた。私は容易に回り込まれてしまう。

 しず子は私に目線を合わせつつ、

しずく「見て、かすみさん」

 柄に刃が引っ込む凶器を、私に見せつけた。
 
37: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:40:14.49 ID:BoFYn4nN
かすみ「……?」

 未だ恐怖が頭を支配する私には、その意味が理解できなかった。

 手で押し込むと、しゃこっ、と乾いた音が鳴って柄に刃が引っ込む。だが、手を離すと刃が飛び出た。それを幾度が繰り返していく内に、私の頭は冷え切った。

かすみ「……よいしょっと」

 私は普通に立ち上がり、背中を少しさすった。手の平を見ると、血なんて少しも付着しちゃいない。

 それに応じて、しず子も立ち上がった。私のただならぬ気配を察知してか、こめかみに薄く汗を掻いていた。それは、この蒸し暑さのせいか、それともプレッシャーか。

しずく「あ、あのあの。これも……可愛いドッキリ……。納涼の一環で……」

かすみ「は?」

しずく「……一言だけ。一言だけ言わせて」

かすみ「うん」

 しず子は一度大きく息を吐いた。その後、瞳に強い意志を込めながら、

しずく「許してニャン!」

 ただただ苛つくばかりの可愛い謝罪をした。私はそれに対し息を大きく吸い、

かすみ「しず子おおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!」

 部屋の壁を突き破るほどの怒号を放った。
 
38: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:41:15.69 ID:BoFYn4nN
──

かすみ「ったく……しず子ってば、悪戯の限度ってものを知らないよね」

 怒髪冠を衝いてからしばらくして、私としず子は部屋を出ていた。事故物件ではない、普通の部屋を。

 詳細を言えば、私としず子はあの後交代でシャワーを浴び、また説教の後、こうして外に出ている。

しずく「ごめんねぇ……本当に……。ドッキリとか悪戯に慣れてなくて……限度ってものを理解していませんでした……」

かすみ「……はぁ」

 全く。全くだ。もうこの言葉しか出ない。今日一日、しず子にしてやられてばっかりだ。
 
39: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:42:17.55 ID:BoFYn4nN
 だがまあ……結果的に、しず子やみんなに対して感じる負い目? のようなものはどこかへ霧散した。今はただ、未だ燻る怒りと呆れを感じるだけだった。

かすみ「もういいよ。しず子もこれで分かったでしょ? 新進気鋭の女優の演技は凶器になり得るってさ」

しずく「はい……。もうちょっとドッキリだって分かるよう、努力します」

 それは……努力の矛先が間違っている気がする。だが、しおらしいのでこれでいいのかもしれない。

 いや……これすらも演技……? そんなことを考えてもいたちごっこになるだけ、か。頭を切り替えることにした。

かすみ「そう言えば、これからどうするの? 丑三つ時前だから部屋を出たけど」

しずく「あぁ、うん。不動産屋さんから言われてるんだ、開かずの間は危険だからそれ以降は絶対に入らないでくれって」

かすみ「そう言えば、そんな話もあったね」

 丑三つ時にのみ、開くと言われる開かずの間。

 ……あれ? ここって事故物件じゃないんだよね? じゃあ、どういうこと? 開かずの間ってなに?
 
40: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:43:19.31 ID:BoFYn4nN
しずく「もうすぐ不動産の人が迎えに来てくれる手筈になってるんだけど……」

 私の疑問を他所に、しず子は周囲をきょろきょろと見ていた。深夜も深夜、街灯もあまり機能しておらず視認性が悪い。

しずく「私、ちょっとその辺探してくるね! ちょっと待ってて!」

かすみ「えっ、ちょっ! しず子! ……行っちゃった」

 しず子は深夜の暗闇の中に消えてしまった。すると、自然と私一人になる。蒸し暑さも鳴りを潜め始めたからか、肌寒さが体を包んだ。

 未だ蛙鳴蝉噪はうるさく、孤独になった感じは薄い。だが、寂しさを紛らわせるためにスマホを開いた。

 すると、まずでてきたのは時刻表示。丑三つ時を回って数分が経過していた。その事実に、とある言葉が口を衝いて出た。

かすみ「開かずの、間……」

 ごくり、生唾を一つ飲み込む。

 あそこは……事故物件じゃない。じゃあ、あれはなに? どうして開かないの? 普通の部屋にあるたった一つだけの極度の異常。

 私の足は、自然とあの部屋へと向いた。

 目的の部屋は二階にある。鉄製の階段に足を掛けると、自分の存在を主張するようにカンカンと音が鳴った。
 
41: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:44:21.07 ID:BoFYn4nN
 そしてすぐ、もう一度あの部屋の前へと戻った。ドアノブに手を掛ける。すると、前と同じように上下が少しずれた。先ほどの焼き直しのように、意を決してドアノブを捻る。多少の抵抗を感じつつ、扉を不快に軋ませながら、

かすみ「開いた……」

 呟きながら、不可解さを覚えていた。しず子が閉め忘れた……? いや、もしかして……。

かすみ「招かれてる……?」

 私は呼吸を整え、部屋へと侵入した。誰にも気付かれないよう、軋む扉に気を付けながら。そう、これは既に内見ではない。不法侵入だ。だから、明かりも最小限だ。スマホのカメラを起動してライトを点灯する。すると、ぼうっと室内が視認できるようになった。

 抜き足差し足で歩を進める。ライトだけを頼りにしているからか、室内がいやに不気味だった。だが、好奇心には勝てない。あの襖の部屋まで慎重に、でも迅速に移動していく。

 そしてようやく、あの襖の前まで辿り着いた。

 その時、スマホがぶるりと震えた。思わず落としそうになってしまったが、なんとか落とさずに済んだ。

 どうやら、一時的に圏外から復活し、その間来たメッセージが一斉に送られてきたらしい。襖の奥を覗く前に、メッセージを確認してしまおう。軽く見ていくと、その中の一つ。同学年のグループLINEが目に留まった。
 
42: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:45:22.37 ID:BoFYn4nN
璃奈『かすみちゃん。繁忙期終わったんだってね。お疲れ様』

璃奈『昨日は会えなくて残念だった。でも、今度は絶対に会おうね』

栞子『お疲れ様です、かすみさん。私も、次は絶対に会いたいです』

璃奈『それにしても、昨日はしずくちゃんがべろんべろんに酔っぱらっちゃって大変だった』

璃奈『今日は二日酔いでグロッキーだね。一日中、家ですやぴが簡単に予想できる』

栞子『あれはまさに酒乱。仕事の時は控えているんでしょうね』

かすみ「……え?」

 二日酔い? グロッキー? そんなはずはない。だって、あんなに涼しい顔でしず子は……。もしかして……演技? でも、どっちが? 二日酔い? それとも辛いのを隠してたの?

 私の疑問は置いておいて、とりあえず画面をスクロールしていく。
 
43: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:46:23.09 ID:BoFYn4nN
栞子『かすみさんはもうしずくさんから聞いていますよね』

璃奈『あぁ、あのこと』

栞子『はい。ビックリですね。まさかしずくさんと侑さんが付き合っていたなんて』

璃奈『それも、卒業式の日に侑さんから、なんてね』

栞子『あの時の侑さんの顔……。苦虫を噛み潰したようでしたね』

璃奈『まさか隠していた秘密を、酔っ払いに暴露されるだなんて思ってもみなかっただろうね』

かすみ「……は?」

 暫し、書かれている内容が理解できなかった。いや、脳が拒んでいた。

 ど、どういうこと? しず子と侑先輩が付き合ってる? 何を言ってるの? 侑先輩と付き合ってるのは私、中須かすみ……。その、はず……。

 侑先輩は、実は浮気していた? いや、でも……侑先輩は浮気をするような人じゃない。不義理を働くような人じゃない。そう、しず子も言っていた。

 私の混乱を他所に、スマホは再び圏外になる。無用の長物と化したそれから目を離した。私の視線は、襖へと戻る。

 この奥に、真実が待っている気がした。私は震える手つきでそれに手を掛ける。すると、先ほどの固着感が嘘のように、するりと開いた。

 中ほどまで開け、そこをスマホのライトで照らした。
 
44: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:47:24.82 ID:BoFYn4nN
かすみ「侑先輩……」

 そこにあったのは……いたのは、侑先輩だった。全身雁字搦めになって拘束されており、一切身動きが取れないようになっていた。声も発せないように拘束されているらしく、極めて徹底していた。

 特筆すべきは、胸に突き立った一本の包丁だった。心臓を一突き、その表現が的確に思える。

かすみ「ゆ、う……せんぱい……」

 私はふらりと押し入れの中へと入り、侑先輩の顔の拘束を外した。肌に触れると、まだ仄かに温かい、が、人肌の温度からは遠かった。つまり、死んでからまだ時間はあまり……。あぁ、お風呂の時、か……。

 次に、胸に突き刺さった包丁を抜いた。見覚えのある凶器だった。ごぽり、おびただしいほど血が流れた。

 血生臭い……。襖の奥は、死の臭いが蔓延していた。

かすみ「う、うっ、うぅ……」

 いつの間にか、私の瞼からは涙がでていた。私は血塗れになりながらも侑先輩を強く抱きしめた。もう温かさを感じないけれど、それでも、強く、強く……。

 これが、こんなものが、真実だって言うのか。

 じゃあ、侑先輩の秘密っていったいなんだって言うんだ。

 私の愛した、侑先輩の秘密は……っ!!
 
45: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:48:26.29 ID:BoFYn4nN
しずく『かすみさんは本命だよ。絶対、間違いなく』

 その時、そんなしず子の言葉が反芻される。それで、あっさりと疑問は氷解した。

かすみ「……あは。あはっ。浮気じゃなく、本命が二人ってわけ? あは、あはははは……馬鹿馬鹿しい……あははははははは……」

 でも、侑先輩らしい優柔不断さだ。私の愛する人の、愚かで愛おしい秘密だった。

 その時、遠くでパトカーの音が聞こえた。徐々に近づいているらしい。

かすみ「……それなら」

 侑先輩を押し入れから引きずり出す。そして、体に厳重に巻かれた拘束具を外していく。するとようやく……私の見慣れた恋人の姿に戻った。

 私はそのまま、侑先輩の下に潜り込んだ。下から私が、上から彼女が抱きしめるような格好になる。冷たい血が私の服へと染み込んでいく。

かすみ「重い、重いなぁ……」

 幸せな重量を感じる。私は壊れそうなくらい、死んでしまうほど強く抱きしめた。でも、私がいくら抱きしめても、何の反応も返ってこなかった。

かすみ「侑先輩……ほら、見てください、この毛先」

 身をよじり、毛先をつまんだ。ひらひらとアピールするが、光を返さない光彩には映っていなかった。
 
46: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:49:30.30 ID:BoFYn4nN
かすみ「見て、欲しかったなぁ……。お揃いにして、一緒にお洋服を買いに行って、恋人ですか? って店員さんに言われるんです。うぅん、姉妹に間違えられるかも」

 言いながら、空気が抜けたように笑った。そんな未来が、来ればよかったのに……。

 だから、未来を閉ざした張本人であろう人に向け、

かすみ「ねぇ……しず子」

 そう、呟いた。彼女は、桜坂しずく。私の親友であり、侑先輩のもう一人の本命。

かすみ「私はそれでも、侑先輩のことが大好きだよ」

 続けて口角を上げながら、

かすみ「愛の深さじゃ、私の勝ちみたいだね」

 そう、挑発した。最後まで、最期にいたのは、この中須かすみだ。ぎゅうっ……と、再び強く抱きしめた。すると、より一層血液は流れ出た。

 あぁ、流れる、そして私に染み渡っていく。

 侑先輩の穢れた血が。

 それでも愛おしい、穢れた血が。
 
47: (ささかまぼこ) 2023/06/09(金) 23:51:00.89 ID:BoFYn4nN
──

『■日未明、東京都■■のアパートで女性が〇害されました。警察は通報を受け、現場にいた中須かすみ容疑者を現行犯で逮捕しました。容疑者は被害者の浮気相手だったらしく、警察は追求を進めています。アパートの住人からは「二つ縛りの女性と行動している姿を見た」「昨晩、何か言い争っている声が聞こえた」との声が、番組スタッフの調べで分かりました。また、容疑者の関係者からも話を聞くことができ、「最近あまり会えなくなった」「今思えば、何か思い詰めていたように感じる」など、容疑者の精神状態について聞くこともできました。では、次のニュースです──』



おわり
 
52: (もんじゃ) 2023/06/10(土) 00:11:37.89 ID:55IqThgi
 理由を聞かず、提案を快諾する。それこそ、親友の美学というものだ。

 一人笑みを深めていると、目的の駅まで着いたらしい。電車の床周辺から空気が排出される音が聞こえ、ドアが開いた。

かすみ「……あっつ」

 むわっとした熱気が一瞬で体を包む。六月だというのにこのうだるような暑さ。田舎だろうが東京だろうが、日本の蒸し暑さは同じだった。

 げんなりとしながらキャリーバッグを引き、駅の待合室に行く。ローカルな駅らしく、人気のない無人駅だった。空調の効いていない室内は居心地がいいとはとても言えず、意識を逸らすためについスマホを開いてしまう。

 一体、しず子はどうしてここへ……。

「Hello?」

 と、ここで、聞き慣れた声で、聞き慣れない挨拶が聞こえた。唐突だったが特別驚かなかった。億劫な感じにそちらを見やると、

「Hi! Kasumi!」

 大きなサングラスを身に着け、髪を二本に結んだ……しず子がいた。ステレオタイプな陽気な外国人、と言った印象を受ける。

かすみ「なにそれ……。しず子ってばこの暑さでやられちゃった?」

しずく「うわ。ひどい。かすみさんってそんな皮肉屋だった?」

 芝居がかった動きで悲しみを表現するしず子。なんだか、前に会った時より悪化している気がする。何が、とは言わないが。

 繁忙期明けで重い体に鞭を打ち、椅子から立ち上がった。本題に入る前に、一つ気になる点があった。
 
53: (もんじゃ) 2023/06/10(土) 00:12:06.71 ID:55IqThgi
 理由を聞かず、提案を快諾する。それこそ、親友の美学というものだ。

 一人笑みを深めていると、目的の駅まで着いたらしい。電車の床周辺から空気が排出される音が聞こえ、ドアが開いた。

かすみ「……あっつ」

 むわっとした熱気が一瞬で体を包む。六月だというのにこのうだるような暑さ。田舎だろうが東京だろうが、日本の蒸し暑さは同じだった。

 げんなりとしながらキャリーバッグを引き、駅の待合室に行く。ローカルな駅らしく、人気のない無人駅だった。空調の効いていない室内は居心地がいいとはとても言えず、意識を逸らすためについスマホを開いてしまう。

 一体、しず子はどうしてここへ……。

「Hello?」

 と、ここで、聞き慣れた声で、聞き慣れない挨拶が聞こえた。唐突だったが特別驚かなかった。億劫な感じにそちらを見やると、

「Hi! Kasum
 繁忙期明けで重い体に鞭を打ち、椅子から立ち上がった。本題に入る前に、一つ気になる点があった。
 
54: (もんじゃ) 2023/06/10(土) 00:12:33.72 ID:55IqThgi
あぁども、へへへ、こりゃおはようございます。
今日も生憎天気が悪いようで。
いやね、あたし都内で不動産屋営んでまして。
はぁはぁ、親の代からなんですが、へへへ。
こう野暮な天気が続くようじゃ、また増えちゃいます。
いぁいぁ、変死者の数ですよ。
東京じゃ、年に1万人超えてるんですって。
はぁはぁ、あたしと何の関係があるって。
へへへ、それが大ありなんです。
瑕疵物件って、ご存知?
ご存知でない、そうですか、はぁはぁ。


625 :本当にあった怖い名無し:2008/09/26(金) 00:35:21 ID:O2CBAmQJ0
様々な理由で、販売や賃貸に支障のある物件のことなんですがね。
判り易く言いますと、死人の出た部屋で、へへへ。
自〇、〇人等、変死絡みの物件はね、あたしどもの悩みの種でして。
以前はね、事実を隠しまして、はぁはぁ。
価格を下げさえすれば、それなりにお客も引けたんですが。
まぁまぁ、後から事実を知ったお客のクレームもね。
知らぬ存ぜぬで罷り通せば、問題無かったんですが、へへへ。
それが、貴方、法律が変わっちゃいまして。
消費者契約法っていうんですが。
瑕疵を隠して契約した物件は、お客がクレームつけた時点で無効になっちまう
値引きするにも限界ってもんがあるし。
変死者が1万人超える様な東京じゃ、瑕疵物件も増え続けてて。
はぁはぁ、年に数千ってとこですかね。
都内で商売するあたしらには、避けて通れぬ鬼門ですよ。
瑕疵物件って奴は。
 
55: (もんじゃ) 2023/06/10(土) 00:13:55.05 ID:55IqThgi
かすみ「見て、欲しかったなぁ……。お揃いにして、一緒にお洋服を買いに行って、恋人ですか? って店員さんに言われるんです。うぅん、姉妹に間違えられるかも」

 言いながら、空気が抜けたように笑った。そんな未来が、来ればよかったのに……。

 だから、未来を閉ざした張本人であろう人に向け、

かすみ「ねぇ……しず子」

 そう、呟いた。彼女は、桜坂しずく。私の親友であり、侑先輩のもう一人の本命。

かすみ「私はそれでも、侑先輩のことが大好きだよ」

 続けて口角を上げながら、

かすみ「愛の深さじゃ、私の勝ちみたいだね」

 そう、挑発した。最後まで、最期にいたのは、この中須かすみだ。ぎゅうっ……と、再び強く抱きしめた。すると、より一層血液は流れ出た。


 それでも愛おしい、穢れた血が。
 

引用元: https://nozomi.2ch.sc/test/read.cgi/lovelive/1686319667/

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